母を探しています。 | HOLYCLOCK 龍太朗 official blog「Untitled document」

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今日は4/11に行われる龍太朗Birthday Oneman「MOTHER」のこと、興味ないかもしれないけど俺の過去のこと、そして母のこと。

全て赤裸々に書こうと思います。

長くなると思うし、あまり気持ちのいい内容じゃないかもしれないけど、もしよければ最後まで読んでほしいです。

こうしてここまで沢山の仲間に支えられて生きてこれたこと、今生きることが辛いって思ってる人の勇気に少しでもなればいいなと思う。


少しお付き合いください。


俺は毎年誕生日を迎えるたびに、ものすごく罪悪感に苛まれる。

俺は所謂父子家庭で育ってきた。
今でこそ珍しくもないかもしれないけど、俺がまだ4才で幼かった頃、父と母は離婚しました。

当時何もわからない俺は毎晩毎晩父と母の怒鳴り声に耳を塞いで、布団の中で震えて泣いて、眠れない毎日を過ごしてた。

神様に祈るって、ドラマや映画みたいだけど、本当に布団の中で祈り続けてた。

そんな毎日の中で、いよいよ両親の離婚が決まった時のこと。

「どっちについていく?」

この一言が人生を左右する分かれ道になるなんて知る由もないし、事の重大さに気づいていなかったし、今思えば4才の子供に問いかけることなのかどうかも疑問だ。

俺は当時、何の考えもなしに父親と答えた。まさかもう会えないなんて考えてなかったし。
少し母が恐かっただけ。よくイタズラして怒られてたから。

それから母はいなくなった。

兄弟とかもいないし、家族三人の内の一人がいなくなるのは本当に人生に穴が空いたような感覚に陥った。その時初めて事の重大さに気付いたんだと思う。




それからしばらくして、父がおかしくなり始めた。
失業し、酒に溺れるようになった。

無意味な暴力やここに書けないような中傷にも耐えた。

幼い俺を置いて何日も帰ってこなくなったりもした。

小学生になる頃にはストレスで顔中に痣ができたりもした。

最悪な出来事としては、俺の目の前で父が自殺未遂を図ったこと。
未だに夢に出てくる始末に負えない出来事。




父が退院して少ししてから、突然知らない女の人を連れてきて、新しいお母さんだと説明された。
その時は正直かなり安堵したよ。
父の暴走を止めてくれる大人が来たと思って、すごく期待した。





すぐに裏切られたけど。





その再婚した女も酒乱で、言動も支離滅裂…。俺はどうしても「お母さん」と呼べずにいたせいもあって、理不尽な言い掛かりから毎日のように暴力を受けてた。

父も酒に溺れていて、同じように暴力やらなんやら。

もはや誰も助けてくれないし、どうにかして顔色を伺いながらやり過ごしてた。

父とこの女の争いが一番きつかった。
刃物は飛び交うし、家の中が血だらけになったりしてたし。

この時期は警察のお世話になりまくった。
警察署で宿題を見てくれた警察官の方には今も感謝してるし、俺の様子がおかしいからっていつも気にかけてくれた小学校の担任の山中先生には、本当にもう一度お会いしたい。夜中に泣きながら彷徨ってる俺にご飯を食べさせてくれたおば様もいた。

よく考えたらこの時から助けられてばっかだったんだね。

1年くらいして、その女が出て行った。

けど、父は特に変わらないし、俺はいつあの女が戻ってくるか不安で眠れず、刃物を持って数日間玄関前に座ってたこともあった。

異常な行動だと思うし、反省してる。

そこから祖母に育ててもらった。
父も一緒だったし相変わらずな人だったけど、何とか生きてこれた。

俺も今は大人になった。父とも離れたことで助かったなと思う部分もある。
立派かどうかはさておき、ここまで生きてきて、大人になれて本当に良かったよ。


自分語りばっかりでごめんね。
別に同情してほしいわけじゃないんです。
もう乗り越えた過去だと思ってるし。
この経験が誰かの救いになればいいなって思って、音楽始めたわけだし。
まぁ俺より辛い人なんて山のようにいるでしょう。父もある意味辛かったんじゃないかな?ちなみに今は2ヶ月に一度くらい父には会うようにしてます。



長くなったけど、ここからが本題。
俺は色んな人の助けもあって、自分の誕生日にライブができることになった。

正確には4/10が誕生日で、ライブは4/11。
冒頭に書いた罪悪感は母に対して。

やはり自分が産んだ子供の誕生日とかって、忘れられないんじゃないかなと大人になってから思うようになった。

母を追い出した決定打は俺の選択なんだと思うと、申し訳なくて息苦しくなる。

自分が救われたいだけなのかもしれないけど、一言母に謝りたい。

それと、俺のライブを見てほしい。

今年の目標って言ったら妙だけど、それをずっと願ってた。

俺がステージネームを龍から龍太朗にしたのも、父と母に貰った名前を何らかの形で残したかったから。

今は母を探す方法は沢山あるだろうし、もしかしたらもうこの世にはいないのかもしれないし、会いたくないかもしれない。


母の写真も無いし、顔もハッキリと覚えてはいないけど、名前だけは覚えてる。

当日4/11に母の名前でゲストパスを用意しておきます。

来たくなかったら来なくてもいい。
気づかなかったらそこまでだと思う。

もし来てくれても、会いたくなければ会わなくてもいい。

ただ、俺が色んな人に助けられて、歌を歌わせてもらってるって姿。

一度だけ見てほしい。

話題性狙ってるとか、色々思うかもしれないけど、純粋に音楽でもし再会できればこれ以上の幸せはない。

できるだけこのことを皆様に拡散して頂きたいと思っています。

母に届くように。

バンドや事務所を巻き込んでの個人的なお願いで本当に恐縮なんだけど。

どうかよろしくお願い致します。

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母へ。
当日受付で名前を言って貰えば中に入れます。今更何だと思うかもしれませんが、どうか一つだけ我儘を聞いて頂けないでしょうか?

貴女には感謝しています。
母として接してくれなくてもいいです。
会いたくないなら会わなくてもいいです。

ただ、できることなら一度お会いして謝らせてほしいです。

お願いします。


龍太朗