感じる…
明らかな敵意を感じる…
私は知っている、この視線を。嫌と言う程。遠くない過去に味わった、恋する女子からの嫉妬という名の敵意の視線を……





キョーコは、先々月から撮り始めたドラマの現場で、目の前の光景を複雑な思いで見つめていた。

「女版・敦賀蓮」と称される、今回のドラマの主演女優は、その通称に恥じない際立った存在感を存分に発揮させていた。

172cmの長身に、オーストリア人を祖父母に持っているだけあり欧州と東洋のいいとこどりの美顔。腰まで伸ばしたつややかな黒髪のストレート。
その艶やかな容姿もさることながら、仕事に対するストイックな姿勢と、抜群の演技力。いつでも柔和な笑顔をその口元にたたえているという、たしかにどこをどうとっても、「敦賀蓮を女性にしたらこうなるだろう」と誰しもが思うような女性だった。歳も22歳と同学年。名前まで花をモチーフとしており、「北園百合」といった。
彼女が「俳優・敦賀蓮と異なるところ」と言えば、以前からモデルとしての名前は売れて有名だったとはいえ、子供の頃からずっとモデル畑を歩いてきた彼女は、演技の世界に飛び込んでからまだ2年という短い期間しか経っていないということだった。

そういう事情もあり、「主演女優」という大役は初めて、そもそもドラマの経験自体もまだ浅い彼女は、出演者の中では歳の近く、女優としての芸歴もそう変わらないキョーコにとても気さくに話しかけてきた。
「京子ちゃんと仲良くなりたいな。色々と情報交換したり演技の練習をしたりして、一緒に頑張ってドラマも盛り上げられたらいいね。」
という好意がありありと感じられ、キョーコも当初は非常に嬉しく思ったものだった。

ところがしかし、その関係が、少しずつ、少しずつ、軋んでいったのだ。

今日とてキョーコはあからさまに避けられていた。百合は少し離れたところで、年輩俳優に演技相談をしている。

(あ~、やだやだ私ったらうじうじ考えちゃって!仕事に集中集中!)
と、キョーコが頭をブンブン振って、台本のおさらいをはじめた時だった。スタジオの入り口にやや人の動きがでて、キョーコの悩みのもう一つの原因が姿を現したのは。

「あ、キョーコちゃんだ~!おはよ~!」
と、担当俳優と一緒に監督に挨拶を済ませたあと、小走りでキョーコのところまで駆けてきた社は、いつもの通りニコニコキャピキャピと機嫌がいい。

その後ろを、女性スタッフに捕まりそうになりながらも真っ直ぐにキョーコに向かってくる大きな人影。百合とW主演の蓮は、神々スマイルをたたえながらいつもの甘い声で
「やあ、最上さん。おはよう。また熱心に台本を読み込んでるの?クス。夕べ晩御飯のあとに俺の部屋で一緒にさらったんだから、あの通りやれば大丈夫だよ?」

と、一歩間違えれば、二人の関係の誤解を招くような発言をサラリと言ってのけた。声はそう大きくはなく、ガヤガヤとセットの入れ替えを行っている今の現場ではそう問題ではない。そう、蓮の声が届きさえしなければ…。

蓮が発言した途端、年輩俳優との話を終えて一人で少し離れて立っていた百合が、ピクリと緊張したのが、キョーコの肌にも伝わってきた。視線は前を見据えているが、明らかに纏う空気が変わった。実を言うと、キョーコはこの空気がまさに「女版・敦賀蓮」なのだと思っている。

「うぅ~、また、まただ~!百合さん、プチ魔王を降臨なさってる~!!」

キョーコはやはりそうだと己の憶測を確信した。
この2週間というもの、百合の言動は、キョーコと蓮がただの先輩後輩の関係以上だと示唆するようなことがあると悪化するのだ。キョーコと蓮の関係は本人達の感情は置いておいて、事実ただの先輩後輩だ。キョーコは蓮に思いを寄せてはいるが、それは地獄まで持っていくのだと決めている。絶対に絶対に表に出してはいけない感情だ。だからキョーコは、言動に出てしまわないようにと細心の注意を払った。もてうる限りの演技力でただの後輩を演じてきたのだ。だからこのあさましい想いが、百合に悟られたりしているとは思えない。とすれば、原因は蓮にあるとしか思えなかった。

蓮は、ことあるごとに主演女優の百合よりもキョーコの側に来て、ニコニコとしながら甘い雰囲気をかもしだすのだ。都合があえば夕食をねだり、
「一昨日の赤魚の煮物は味が染みてておいしかったよ。フキって野菜は初めて食べたな。最上さんのごはんはいつもほんとに栄養満点で美味しくて毎日だって食べたいな。」
だの、
「俺の部屋で指導した時よりも役をちゃんと掴めてて、いい演技だったよ。」
と良くできましたとばかりに頭を撫で撫でしてくれる。キョーコとしては、蓮が何を思ってそのような行為に及んでいるのか見当もつかなかった。そもそもキョーコとしては、顔がゆるゆるデレデレになりそうなのを必死で押さえるのだから、顔が筋肉痛になるは、嬉しさのあまり自分の気持ちがバレないようにハラハラするはで落ち着かない。例の正体不明の外国人俳優の映画がクランクアップしてから、蓮の言動は明らかにただの先輩のそれを逸脱していた。しかも、それはこの2週間の間、特にひどくなっていた。

(…そりゃ気にくわないわよね。敦賀さんたら、W主演の女優さんを放っておいて、こんな素うどんのところにばかりくるんだもん。社さんだって、なぜか『キョーコちゃんが今日もいて嬉しいよな、蓮~』とかって意味不明なこと言ってくるし。百合さんからしたら面白くなくて当然だわ。もしかしたら、このドラマを機に敦賀さんともっと関係を深めたい…とか思っていたかもしれないし…。って、はっっ!何を私ったら、自分の想像に悲しくなってるの!敦賀さんが誰とどうこうなろうが、それは敦賀さんの自由。そもそもあの天上人との私の今の距離感の方がおかしいんだから!)

ただそうなると、クランクインしてからの数週間の百合の言動の説明がつかない。

いくら芸歴があまり変わらないとはいえ、百合はモデルとしては大ベテラン。蓮と共演したことだってある。そのためかドラマのクランクイン当初から蓮と百合はある程度うち溶けていた。何より二人が並ぶと絵になるなんてものではなかった。壮絶に美し過ぎるツーショットに、共演者もスタッフも、感嘆のため息をもらしていた。ところがいざドラマの撮りが進行すると、百合は蓮ではなく、キョーコの側に来て、あれやこれやと話しかけてくることの方が明らかに多かったのだ。



蓮と百合が撮影のテストに行ったため、思いにふけっていたキョーコは、「最上さん、おっはよ!」という元気ハツラツな声で我に返った。
「あ、おはよ~!さと君、今日も元気だね~!」
とキョーコも元気に返す。杉山悟、キョーコの二つ歳上の20歳。駆け出しの俳優だ。人懐っこく、朗らかな笑顔を浮かべている。キョーコと同様に出番は少ないが、現場は勉強になるからと、自分の出番意外でも率先して見学している。悟は、タオルでワシワシと頭を拭った。「大学から、チャリンコかっ飛ばしてきたからさ~もうマジで汗だく!」と眉毛をハの字にして見せるが、さして困っても無さそうに見えるのは、見に纏う少年のような可愛いらしい雰囲気のせいだろう。実際に悟は、168cmと男性にしては小柄な方で、骨格も中性的、髪も栗毛で天パー、ふわりとしていた。

「ぷはは、ほんと滝みたいな汗だね!」
「でしょでしょ!でも、こんなに汗だくなのにさ、最上さんのドライビングテクニックにはかなわないんだよ~。最上さんの脚なら、きっと30分もかからないんだろうけどな~。すごいよね。そうは見えないけど、実はかなり筋肉質なの?」
と、キョーコの脚をまじまじと見つめる。
「え~どうかな、さと君の方が男の人なんだし、やっぱり筋肉じゃ敵わないんじゃない?」
眉を寄せてう~んと考えていた悟は、いいことを思い付いたとばかりに「ま~そうかな。あ、俺が触ると色々まずいから、最上さん、脚触って比べてよ~。」と提案する。
「あ、そうだね。どれどれ…(触り比べ)。あ、ほんとだ、全っ然違うよ~。悟君はやっぱり硬いけど、私なんてふにふにだ。」
「ほら、やっぱり!最上さんは女の子だもんね。触ったらと柔らかそうだなって思ってた。……あ~どうしてもあのスピードでチャリンコこぐ脚が気になる~。やっぱり最上さんの太もも触らせて~。指で少し押すだけだから。」
「え、それじゃわからないでしょ。しっかり揉んでみてよ。」
「ほんと?じゃあお言葉に甘えて…。(モミモミ)。おお!筋肉もあるけど、やっぱり柔らかい!となると、それを補う程の相当なドライビングテクニックなんだね~。マジでスゲっ!ししょっ!今度御指南下さい(ペコリ)」
「いやいや、それほどでも~…あるかな!アハハ」

と、和気あいあいと話していたキョーコと悟。ふと、キョーコが気付くと、横にいる社がブルブルガタガタと青白くなり震えている。
「…ダ、メでしょ、聖ら…ルでしょ、生脚とか…ナシナシ…。闇の國…が…。お助け…」

となんだか意味不明なことを口走っている。と、怨キョが一斉に色めきたった。いつもの倍量かとも思える怨キョの数に本体のキョーコも鳥肌ものだ。
(だ、だ、W大魔王降臨〰!!え~!敦賀さんも百合さんも顔はあっち向いてるのに、こっちに向けて、ありえない程の負のオーラがっっ…セットの中に立っている二人が、禍々しすぎるぅ~!神聖な職場で私語をしていたから、お怒りなのかしら!声は抑えていたつもりなんですけど…。それに、まだ位置合わせだから、ついついよそ見を……も、申し訳ございませぇ〰〰んっっ!)
頭の中で必死に拝み倒すキョーコ。

と、主演2人から監督が離れた時だった。セットから百合がこちらを見た。

そしてキョーコが感じた、視線。

絡み付くように刺すように向けられた、強い敵意。隠すつもりもないようだ。…もう間違いない。ありえないと何度か否定してたけど…百合さんは、私に「女として嫉妬」してるんだ…。