あのあと、不穏な空気で現場のスタッフを凍らせた二人は、本番を見事に一発OKし、(敦賀君と百合さんは、既に役に入り込んでいたんだなあ)と、スタッフを激しく感動させていた。(←実は、その本番はライバル関係にある二人が激しくやり合うシーンだった。)

「チェック入りまーす」
のスタッフの声に、主演の2人はサッとセットを降りて監督の元に向かった。

「ねえねえ、京子ちゃんと杉山君て仲いいよね。もしかして前からの知り合い?『最上さん』て、もしかしなくても京子ちゃんの本名?実はさ、ずっと気になってたのー。」

台本を読んで(いるフリをして)いたキョーコは、メイクさんにそんなことを聞かれる。メイクさんは、そろそろ出番になる京子のメイクを直そうかと、今スタジオに入ってきたところだ。

「あ、そうなんスよ。2年以上も前ですけど、ファーストフード店で一緒にバイトしていたことがあって。ね、最上さん?」

キョーコの隣で、主演二人の魔王オーラに固まっていた悟が、ハッとして答える。キョーコも続けて答えた。

「さと君…杉山君は、私とほぼ一緒に働き始めたんですけど、すごい偶然で、杉山悟さんが二人もいるのに加えて、山田悟さんまでいて。みんなで呼び名を話し合った結果、『さと君』になったんです。」

この会話は、この2週間、この現場で度々交わされている。悟の役は、本来は他の役者が演じるはずだったのだが、その役者が交通事故にあってしまい、急遽代役として抜擢されたのだ。そのため、悟の現場への合流は2週間前だった。

(そう、あの日も大変だったなあ…)
とキョーコは遠い目で振り返る。初めてW大魔王が降臨された、忘れ得ぬ思い出の日なのだ。
キョーコと悟が顔を合わせたところ、やはりというべきか悟はキョーコには気付かなかった。キョーコは「さと君」にすぐに気付いたが、なにせ同時のことは、ドラム缶にコンクリート詰めにして地核の奥深くに埋めたい過去なので、知らない振りをしようかとも思った。だが、「さと君」とはバイト中はそれなりにいいチームとして頑張っていたので、あの幼馴染みのせいで人間関係を今更左右されるのは嫌だと思ったのだ。しかも、蓮には「最上さん」と呼ばれるのだから、それを悟に聞かれてあとから変に思われてもうまくないと思った。だからキョーコは自分から、「もしかして、さと君…?」と話しかけた。その声で悟もすぐに気付いてくれた。まさかの久々の邂逅に、二人は手を取り合って喜んだ。
しかしその直後、その場の気温がスーッと下がり、キョーコは初めて百合が魔王と化した姿を目の当たりにしたのだ。
そこで、実は百合と悟が同じ事務所の先輩後輩の間柄だと紹介された。蓮とキョーコと同様に、芸能界での立ち位置にはかなり格差があった。だが、俳優というジャンルでの経年には大差が無かったため、悟と百合は割りと壁を感じない関係に、キョーコには感じられた。

(敦賀さんだけでも寿命が縮みそうなのに、だ、Wでとか!!もうなんの呪い?とか思ったし。ていうか、あれからだな…百合さんがなんだかよそよそしくなっちゃったの…。実はなんだか思うところがあるのよね。百合さんの大魔王化って、さと君がらみ的な…。でも、それがなんでかってのはわからないんだけど…)

キョーコはまたもや思考の渦にはまりそうになったが、自分の出番が回ってきたため、役の『清香』を降ろすべく意識を集中させた。


その日は、撮影後も多忙な蓮と百合とはまともに会話をすることなく、解散となった。



(あ、新玉ねぎ出たんだ…。美味しそうだな。レンジで焼くか、スチームで蒸して、鰹節と醤油をかけたら、敦賀さんでもサラッと食べやすいかも。…ハッ!ま、また私ったら、敦賀さんの食事を作ることを当たり前みたいに考えちゃって…。彼女でもないくせに。次にあの家に行く約束だってしてないわけだし…。
う〰、ヤバいな。なんか私の深層心理が無意識に危ない方向に向かってる気がする。こんな気持ちが敦賀さんにバレたりでもしたら…。)
キョーコはスーパーで食材を見ながら、自分の想像に青くなり、ブルブルと身体を震わせた。

そんなキョーコにスッと近づく人物。
「…あれ、最上さん?…やっぱり最上さんだ。新玉ねぎ吟味中?」
「さっ、さと君!わ、お疲れー。うん、そう。美味しそうだなって。ここのスーパーって、お野菜が新鮮でついつい来ちゃうの。」
「そうそう、そうだよね。農家直送だから、新鮮で味も濃いし。弁当男子としてはテンションあがっちゃうよ。」
二人で、旬の食材のレシピなど他愛もない話をしながら買い物をして、スーパーを出た。

「さと君て、今は、お家この辺なの?」
と歩きながら隣の悟に声をかけたが返事がない。不思議に思って悟の方を見やると、悟は一ヶ所を凝視して固まっていた。キョーコも悟の目線の先を追っていって、そしてその場で固まった。

見間違うはずもない。都内でもそう見ることもない、某先輩俳優の所有する高級車が、ハザードランプをたいたまま路肩で停車していた。何かを探しているのか、車内灯が付いており、蓮と百合とが足元や横をキョロキョロと見回して、時折笑顔を交わしていた。車内は二人きりのようだ。

悟は固い表情のまま、きびすをかえしてさっさと歩き出した。
「あ、さと君、ね、さと君てば!」
キョーコが追いかけると、近くの角を曲がったところでようやく悟は立ち止まった。
「…あ、えと。敦賀さんと百合さん、帰りがたまたま一緒だったとかかな。遅くまでお仕事大へ…「やっぱり!、かな。」
悟がぽそりとでも、強い口調で話しだした。

「やっぱり、女の子は誰だって敦賀さんみたいな人がいいよね。そりゃ、あんな完璧な人いないもんね!だって、ほんとあんな高級車だって似合って!!だ、抱かれたい芸能人ナンバーワンとか!!もう俺なんか敵うわけないっていうか!!ほ、…んと、もう、…そんなこと、はじめからわかって…なのに、こん…な、どうしようもないのに…おちこんだりして……」

一気にまくし立てたあと、尻窄みになってぽしょぽしょと話す悟を見て、キョーコは初めて気付いた。悟の百合への特別な感情に。絶対に手に入るはずもないのに強く渇望する恋慕。キョーコは悟の瞳の中に同じ色を見た。キョーコが蓮に抱く、その欲と同じ色を。



遅い時間でも、さすがに都内の幹線道路は人通りも車通りも多い。誰でもその場で写真を撮って、世間にバラ撒ける昨今。目立つ高級車の車内灯をつけて笑い合っていた、これまた目立つ美しい男女。当たり前のように、蓮と百合のツーショットは瞬く間にネットを駆け巡った。