その後一ヶ月の間、蓮、キョーコ、悟、百合の四人は、監督に指示された通り、必要以上に近づかなかった。

キョーコは、せっかくのドラマの現場で築いた人間関係が壊れてしまったことが残念で、しょんぼりと肩を落としていた。
蓮と悟と百合の三人にいたっても、セットの中での仕事はきっちりこなすものの、待ち時間になるとどことなく沈んだ空気をまとっていた。



「キョーコちゃんは、一足早く明日で撮影が終わりだね。」
社から声をかけられたのは、キョーコが帰宅の途につこうと控え室を出たところだった。
「あ、はい。『清香』は明日で最後なので。こんな雰囲気のまま自分の出番が終わってしまうのは心残りですけど…。」

蓮と離れていたこともあり、社と挨拶以上の会話をするのも久しぶりだ。社はうんうん、とうなづいて、寂しいねという顔をする。
「現場はなかなか複雑な状況になっちゃったけど、みんなきちんと自分の仕事に真剣に向き合ってきたと思うよ。
キョーコちゃんは興味ないかもだけど、放送が始まったドラマの視聴率だって順調に伸びてるし、巷の反応も上々。内容がおもしろいから、蓮と百合さんのプライベートなことは全然噂されなくなったしね。現場でも、四人のことをどうこうとはほとんど聞かないよ。」

キョーコは、社が自分を励まそうとしてくれているのがわかり、うつむいたまま、薄く微笑んだ。
「…で、あの、さ。ここのところ蓮の食事事情が最悪で。」

キョーコは、実はずっとそんな気配は感じていた。冬服なので明確ではないが、少しサイズダウンしたような気もするし、時々蓮が社から説教されている姿も目撃していたのだ。

「…あ、それはもちろん私も心配ですが…。」
「わ、やっぱり心配してくれる!?ありがと〰!キョーコちゃんなら
そう言ってくれると思ってたよ!」
とたんにきゃぴきゃぴとなる社。

「でさ、また蓮にごはん作ってやったりしてくれちゃったりしてもらえないかな〰、なんてっ。」
目の前でパンっと手を合わせて可愛らしくお願いポーズをしてくる社に、キョーコは苦笑する。

「私なんかでよろしければ…。でも、敦賀さんの方が迷惑なのでは…?」
「え、え〰っ。キョーコちゃんのこと迷惑なんて!ないない、絶対ないから!わ〰蓮、喜ぶよ、ありがと〰。とりあえず明日の撮りが終わってからだよね。へへ、できたら早いうちにお願いしたいな。」
「はい、お任せください。」

あまりの社の喜びようにキョーコは戸惑った。蓮と最後にまともにプライベートな内容の会話を交わしたのは、テレビ局の1階ロビーで、1ヶ月も前のことになってしまった。だが、キョーコは使命感が先に立ち、とりあえずレシピを考えだした。
社は、先にラジオ収録に向かった蓮を追いかけると言って、笑顔で去っていった。



「…京子ちゃんて、本当にひどいことするのね。小悪魔って、京子ちゃんみたいな人のことを言うのかしら。」
キョーコが社を見送り帰ろうとすると、後ろの控え室のドアから百合が出てきた。敵意を剥き出しに、攻撃的な口調で話しかけてくる。
キョーコは、久々の魔王な百合の出現に固まった。
(こ、小悪魔?わ、私が??)


「男の人二人にどっちつかずな態度をとって、弄んで楽しい!?杉山君と敦賀君のどっちでもいいなら、敦賀君でいいじゃない。敦賀君にあんなに可愛いがられてるのに、なんでダメなの?なんで杉山君までキープしようとするの?私には杉山君だけなのに!
私だってはじめは思ったよ!?京子ちゃんは可愛いしお料理上手だしお裁縫できるし。私なんか見た目磨いて、人にどう見せるかばっかり考えてきたから、そんな女の子らしい特技ないし。私も京子ちゃんみたいになりたいけど、急になんて無理だし。だから、杉山君と京子ちゃんの二人をお似合いだなって思おうとした!なのに、京子ちゃんは敦賀君とも相変わらずだったし。私、見てるしかできなくて苦しくて…。だって、はじめてなんだもん、男の人好きになったの。ダメなの!どうしてもあきらめきれないよ…!」

百合はキョーコに向かって一気に思いを吐き出した。

綺麗な綺麗な顔をぐちゃぐちゃにさせて、百合はその場にしゃがみこんだ。キョーコは一瞬驚いたものの、あの日からの百合からの嫉妬の視線の不可解さに、やっとパズルのピースがピタリとはまったように感じた。悟の気持ちを知っているキョーコとしては、今すぐにでも二人の誤解を解きたかった。

「百合さん。私も話していいですか。」
百合はうつむいたまま、コクンとうなづく。

「杉山君の部屋に泊まったのは本当に迂闊でした。反省しています。でも、本当に演技の話をしていただけで、寝たのも別の部屋です。杉山君と私の間には、あなたが考えているような関係は一切ありません。百合さんにそういう気持ちがあるのなら、応援したいと思います。
…だから、私はまた百合さんと仲良くしたいです。」

「ほ、んと?」
百合がおずおずと顔を上げた。
「はい、ほんとのほんとです!」
キョーコは胸を拳でドンと叩いた。

「そうな、んだ。私、てっきり…。やだ、ごめんなさい。京子ちゃんに勝手に嫉妬して…。いっぱい嫌な態度とっちゃって。」
赤くなった顔を隠すようにまたうつむいた。
「ありがと、ごめんなさい、ありがとう。ごめんなさい。」
頭を縦にぶんぶん振っている。
そんな百合はとても可愛いらしかった。

(やったぁ!よかったね、悟君!)
キョーコは、ふわふわした気持ちで顔をごしごしと拭く百合を見つめた。

「そっか、じゃあ、敦賀君の誤解も解いてあげないとだね。」
ふと、思い出したように百合が言う。
「えっ。」

「敦賀君、可愛いくて大事なキョーコちゃんがとられちゃったかもって心配で不安でたまらないのに、監督に釘刺されたからキョーコちゃんに近づけなくて、ヤキモキしてるんだよ。それに、敦賀君と私の間が注目されてたから、自分がキョーコちゃんに近づいたせいで三角関係とかって騒がれたらキョーコちゃんに迷惑かかるとか思ってて。ほんとのこと知ったら、敦賀君もきっとすっごく喜ぶよ。」

キョーコからすると、百合の話はツッコミ所が満載だった。しかし、たしかに尊敬する先輩に、現場の風紀を乱した愚か者のレッテルを貼られているのは、「演技者の弟子」としてはいただけない。

「今日は敦賀さんは他の仕事に行かれたので、明日にしますね。」
とキョーコが言うと、
「え〰っ。少しでも早い方がいいよ。一日でも先延ばしにしたら敦賀君が可哀想だよ。あ、私が今から電話するね。」
イソイソゴソゴソと携帯電話を取り出す百合。

「いえいえ、ラジオ収録ですし…。ねっ?ほんとに明日言いますから。」
「そーぉ?わかった。まあ、敦賀君が浮かれてルンルンしちゃって、仕事にならないと社さんが可哀想だし、明日の収録後でもいっか…。」

百合の発言は、相変わらずツッコミ所満載ではあったが、とりあえず百合の暴走は食い止められたので、キョーコはホッとする。
(『は?それが何?俺、仕事中なんだけど?』ってイラつぼつきたくないもんね。)

その後百合のマネージャーの車で最寄り駅まで送ってもらった。車内では、蓮からあれだけアプローチされて気付かないなんてどうかしてるだの、やっぱり女の子はお料理できなきゃダメかな、などと百合がしゃべりまくり、以前のように女子トークを楽しんだ。



「ふふふ。まさかあの二人が両想いだなんてね〰。悟君も明日で収録最後だし、そろそろ監督もプライベートの方は許してくれるわよね〰。」
キョーコはここのところの沈んでいた気持ちからだいぶ楽になり、眠りについた。