「こちらです。」


「ADの田中です」と自己紹介をした青年に案内されて、テスト撮影のためにビルの屋上に向かう。
AD田中、蓮、キョーコの3人は言葉もなく、階段には静かな足音だけが反響していた。

キョーコは、蓮が役の衣装ではいているトレッキングシューズの、頑丈で縫製の美しい縫い目を見つめて、ただ無心になった。
そっと息を吐いて、蓮から数歩離れた最後尾で階段を登る。






「最上キョーコさん。貴女のことが好きです。俺と付き合ってください。」

去年のグレイトフルパーティーのあとのこと。キョーコは蓮から告白されていた。

社長の迎賓館でのパーティーがお開きとなって、キョーコは帰宅しようと玄関に向かった。そこでソファで待っていた蓮に、送っていくと半ば強引に車に連れ込まれた。

そのくせ蓮は、ほとんど会話をしてくることもなく緊張した面持ちで、車内私語厳禁状態だった。キョーコはとてつもなく居心地の悪い思いをした。

蓮はあと数日もすれば、ハリウッド映画の撮影のために2ヶ月程渡米することが決まっている。ただの後輩でしかないキョーコは、少なくともその2ヶ月間は会えないだろう。今のこの時を一緒にいられて嬉しいけれど、気まずくて早く自宅に着いてほしい。相反する気持ちで嫌な汗をかいていた。

自宅の前に車を停められて、キョーコはお礼もそこそこに車を出ようとした。そのぐらい車内の雰囲気は緊迫しており、キョーコの緊張もピークだった。

(息を思い切り吸って吐きたい!苦し〰!)

ところがドアに手をかけたところで、キョーコの左手は蓮の手にその動きを止められた。

え、と振り返ったキョーコは、至近距離で真正面から蓮に見つめられて言葉を失った。視線を合わせたまま、ふっと息を軽く吐いた蓮は、ひどくゆっくりとした噛み締めるような口調で思いを伝えてきたのだ。最後に、キョーコの左手を恭しく持ち上げ、薬指にチュッと音を立てて口づけられた。そのまま目線だけをこちらに向けた蓮の目は、ひたすらにキョーコだけを映していた。

一拍おいて。キョーコのパニックは半端ではなかった。頭の中で蓮の言葉の意味を理解した瞬間、ゴワッと音がしそうな程の勢いで真っ赤になったあと、完全にその起動を停止した。




キョーコは、翌朝自分のベッドの中で、目覚まし時計の音で目を覚ました。お風呂の後に髪を乾かさなかったのか、寝癖がひどかった。顔を枕にこすりつけて寝たようで、顔面には枕カバーの皺のあともくっきりと残っていた。

(ああ、毒悪な願望のせいで、敦賀さんを汚すような最低な夢を見ちゃった!敦賀教信者にあるまじき諸行!万死に値するわ!この髪とこの顔の惨状は、その代償ね…。今日は日曜日で仕事が午後からだからよかったようなものの…はあ〰。)

キョーコが己を責めている時、携帯の着信ランプが点滅していることに気付く。内容を確認すると、蓮からのメールだった。

「最上さんは、このメールにいつ気がつくのかな。思考停止してしまう程びっくりさせてしまってごめん。渡米してしばらく会えなくなる前に、どうしても俺の気持ちを伝えておきたかったんだ。さっきはなんとか歩けていたから玄関の中に君を入れてはみたものの、とても心配です。ちゃんとお布団で寝られたかな。

でも、君への想いは嘘偽りない本当のものなんだ。それだけはわかってほしい。返事は急がないよ。君が俺のことを、俺との未来のことを考えてくれるまで待ちます。それまでは今まで通りに接するから、君も変に構えないでいてほしい。

グレイトフルパーティーお疲れ様でした。今年も楽しかったよ。
あらためて、18歳の誕生日おめでとう。おやすみ。」

途中、何度も意識を飛ばしそうになったり、悶えて部屋の中をゴロゴロと転がりそうになったが、深呼吸をしながらなんとか最後まで読みきった。

蓮のメールが、昨日の出来事をキョーコの夢などではなく、現実の出来事だったと証明していた。

キョーコは、自分の身に何が起きてしまったのか、それを認めるのは困難だったが、とりあえず無礼にはならないように、大先輩である蓮に返信する。

「おはようございます。昨日は送っていただいてありごとうございました。今朝は布団の中で目を覚ましました。ご心配をおかけしてすみません。」

(これでよし、と。)

ふぅ。と、ため息をついたところで、メールの着信があった

恐る恐るメールを開いてみると蓮からだった。

(おはよう。メールありがとう。安心しました。今日もお互いに仕事頑張ろうね。)

蓮からの速攻の返信に、蓮がキョーコからのメールを待っていたのではないかと推測してしまう。
蓮は渡米前で仕事を詰め込んでおり、多忙なはずだ。それなのにメールを返してくれた。その行動の理由を考えないわけにはいかなかった。

それでもキョーコは、昨夜の蓮の熱い視線を思い出して、またもや考えることを放棄した。

キョーコにとっては、蓮の告白は青天の霹靂だった。「あの敦賀蓮」が、最上キョーコなどと、どこにでもいるような地味で色気もない、ツルペタンな女に、うにゃうにゃな感情を抱くなんてあり得ないのだ。
そう、あり得ない。断じてあり得ない。こんなこと認めてしまっては、太陽が西から上るし、1+1=-1892000くらいになってしまうし。とにかく「ない」のだ。

(ヨシ!なにもなかった、ということで!)

キョーコは、とりあえず全てをなかったことにして、日常生活を取り戻そうと努力した。


恐れていた蓮との遭遇は、LME事務所の俳優部で果たされた。
グレイトフルパーティーの翌々日後のことだった。
背後に、
「あ、キョーコちゃんだぁ!おはよ〰!どうしたの、珍しいね、俳優部に。」
と、社の嬉しそうな元気な声を受けて、キョーコはその時がきたことを悟った。

キョーコは、全力の100乗くらいの演技力を徒して、いつも通りとはいかないまでも、いつもに近い笑顔で振り返った。
ところが、蓮の態度があまりにも今まで通り過ぎて、拍子抜けしたのだ。目線も表情も口調も、全てが本当にいつも通りだった。

(あ〰、そうかあ〰。やっぱりあれは私の願望が具現化した白昼夢だったのね。)

勝手に納得したキョーコは、告白の事実はきれいサッパリなかったこととして日常を送った。

告白の後に送られてきた、蓮からのメールの『返事は待つ』『今まで通りに接する』という言葉は見ないふりをして…。


その直後、蓮は予定通り渡米した。その後時々は日本での仕事のために帰国していたが、殺人的弾丸スケジュールだったため、キョーコと会うことはなかった。





屋上に続くドアは薄く開いていた。防犯上電子キーで管理されているそれは、一度閉まってしまうと簡単には開けられないということで、誤って閉じてしまわないようにコンクリートのブロックで押さえてあった。
ドアの隙間から、びゅうびゅうと強い風が吹き込んでいる。

AD田中がドアを押し開けて、蓮とキョーコを屋上に通してくれた。キョーコは想像以上の寒さに体を震わせた。

3月の下旬、日も暮れかかってきた時間帯、一気に体感温度は下がっていた。今日は昼間はけっこうあたたかったからと、すぐ終わる撮影ならかまわないかなと考え、上着を羽織らなかったことにキョーコは後悔した。

撮るシーンに合わせて、キョーコは薄手のブラウス、シフォンのスカート、ローヒールのパンプスという出で立ちだった。
生地が風にたなびくどころかキョーコの体に張り付いて、ほぼ防風の役目を果たしていないのが見てとれた。

対して蓮は、完璧な程の防寒ぶりだった。役の設定上、体に巻き付けた物をコートの中に隠さなくてはいけない。ただでさえ恵まれた体躯の蓮の通常のコートも規格外だが、今着用しているものはさらにだっぷりとして、膝まであるロングのベンチコート。先程までビル内の冷蔵倉庫室にいたため、ヒートテックのインナーの体幹には貼るホッカイロが二つ。その上に羊毛のセーター。ボトムも裏起毛で、この強風にさらされながらも蓮を暖めていた。

蓮は、キョーコの薄着が気になってしかたなかったが、キョーコが目線も合わせず「声をかけてほしくないオーラ」を出しているので、そっと視線を送るにとどめていた。

「京子ちゃん寒いよね。すぐ終わらるからね!」

AD田中は早口で言うと、2人を屋上のフェンス前に誘導して、ハンディカムビデオカメラで20秒程監督に指示されていた画を撮った。この夕陽の落ちる瞬間にどんな画が撮れるかのテストだった。下のスタジオでも撮影が続いてはいるが、そろそろ終わるだろう。これが終われば今日の収録は撤収のはずだった。

「OKです!早く戻りましょう。」

ビルの中に入ろうとして、AD田中がドアのを抑えていたブロックをずらした時、ゴゥッと音を立てて、一層強い突風が吹いた。
風は、すごい勢いでAD田中の体ごとドアを閉めた。AD田中は、吹っ飛ばされてビルの内側で転がっていたが、すぐさま立ち上がりドアを開けようとした。しかし、ノブも回らず開けることができない。

「ドア、開きませんね。」

外側から蓮の声がする。蓮もドアを開けようとしているらしい。

「す、すみません!ちょっと待ってください。今、確認します!」

AD田中は、無線機ですぐに現場監督に指示を仰いだが、ドアの解錠はビルの管理担当者の持つキーカードが必要とのこと。今日は日曜日。担当者が到着するまで20分間は待機するしかないという結果だった。

AD田中はドアを隔ててひたすらに謝ったが、
「こちらは大丈夫なので、下で待機して担当者を連れてきてください。」
という蓮の言葉に従うしかなく、スゴスゴと現場監督の元に報告をするためと、監督からの激しい叱咤を受けるために戻っていった。

京子はこれであがりだと言っていたが、蓮はこのあとも別の仕事が控えている。俳優2人をこの寒空に閉め出しただなんて、クビを言い渡されるのではないかとAD田中は生きた心地がしなかった。



キョーコは、蓮とAD田中のやり取りを見守るしかなく、小さくなって寒さに震えていた。




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またもや、ドラマの撮影のことなど全くわからないけれど、書いてみています。自分の書きたいシーンのためのご都合主義でございますよ。