ホリヤン動向 | ヘルベルト・フォン・ホリヤンの徒然クラシック

ホリヤン動向

12月2日 一晩自宅にご厄介になって朝10時30分。芸大授業、メサイア本番近し。終了後東京駅新幹線。米原から北陸本線に乗り換え福井へ。特急「しらさぎ」車内に大事な携帯を忘れる。福井ハーモニーホールで福井響第九練習。休憩中公衆電話よりJR西日本富山駅お忘れもの係に連絡。発見!女性職員の対応に感激。携帯を無くすと当たり前の話しだが、携帯を落としましたよという連絡さえ受け取れない。もちろん発信も出来ない。この中には何千件という情報が入っている。それらを全て失うことになれば商売はお手上げだ。アナログ人間の私もIT社会の真っ只中で生きていることを実感。公衆電話に十円を一枚一枚入れる作業も久しく忘れていた。フジタホテル福井泊。


3日 前日置き忘れた携帯受け取りのため遠回りになるが富山、長岡経由で帰ることにする。12時32分。特急サンダーバードで福井発。富山に近づくと雪がちらつきはじめる。風も吹き出した。さすが冬の日本海は荒々しいわい。富山駅で無事携帯受け取る。諦めていたものが戻って来た。これからは片時もお前を離さないぞ。なんて俺はついている男なんだ。世の中が急に明るくなって来た。14時16分発の特急「北越」に乗り込む。これで長岡から新幹線に乗り換えれば東京で夜の重要会議に間に合う。ところがなかなか動かない。途中強風のためしばらく停車の報。ようやく動き出してもダイヤが乱れてノロノロ運転。柿崎駅でとうとう停まってしまった。会議には出られないことが決定。平謝りの電話を戻って来た携帯でする。列車はなおも動かず。今度は今日中に帰れない恐れが出て来た。なんて俺はついてない男なんだ。世の中が急に暗くなって来た。運を携帯で使い切ったんだ。観念して、今晩は車内でバッハを暗譜だと猛勉強開始。そこに車掌が「東京行きのお客様は?」何人か集まったところで「他のお客様には内緒ですがここから長岡駅までタクシーに乗って頂きます」JRも粋な扱いをするもんだ。タクシーの運転手も、間に合うか合わないか微妙だがやってみる、という心強い言葉。車は夜の越後平野をブッ飛ばし21時56分発最終東京行マックス「とき」に間に合う。夜中自宅。



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夜の柿崎駅に停車中の「北越5号」風はますます強くなる。車外に出るととても立ってはいられない。全国的に強風警報が出ているらしいが、もっとも強いところに今立っている。今晩は車内で泊まろう観念する。時刻は21時になろうとしている。


4日 終日部屋で次のコンサートの準備。


5日 朝羽田発。1時。九響練習。終了後今村事務局長と共に鳥栖に移動。夜3月末九響鳥栖定期第九コンサートのための練習。全く出来ていない。しかしアマチュアコーラスは全国どこも同じようなもの。激を飛ばす。終了後最終長崎行「かもめ」にのる。深夜長崎着。モントレーホテル泊。



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長崎港にて。ホリヤンとすぐ分かる緑のスーツケース。世界中を共に回り外側は真っ黒に汚れている。汚れれば汚れるほど愛着は深まる。鍵は壊れ、車も取れた。穴があくまで持ち続けます。背景は夜景の名所「稲佐山」 。




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高島へ高島へ。長崎から外洋にでる。江戸時代の南蛮船、唐船、明治時代のピンカートン?もここから長崎の港に入った。



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高島上陸。静かな島に突如として正体不明の一団が歩く。恐らく島始まって以来の光景だろう。



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島内に貼られた神奈川フィル演奏会のポスター。オーケストラの下に今日の客であり共演者でもある全校生徒児童8人の写真。会場は島役場の隣、ふれあいセンター。



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島役場に掲げてある人口、世帯数。年々数は減っているという。


6日 長崎市立高島小中公演。小学生7人に中学生1人の為のコンサート。名前はみんな覚えてしまった。会場には島の人口の3分の1にあたる約150人の人々も彼らを見守る形で音楽を楽しんだ。大人の人々は楽しみ方を知っている。かつて石炭産業が華やかなりし頃は、高島炭坑は世界でも有数の優れた石炭を産出していた。隣の軍艦島(端島)と共に繁栄をきわめ、島内には高層住宅、温泉、映画館などがあり、楽隊や旅芸人達が頻繁に訪れたという。厳しい労働があったとしても、豊かな時代を経験している人達の明るさが、今朗らかに伝わってくるのである。いつにも増して盛り上がりのあるコンサートとなった。



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 この事業、昨年は蓮舫議員らが主導する政府の事業仕分けで無駄と判定され、縮小廃止になるはずだったが、子供に感動を与える事業は無駄ではないと、音楽界はじめ芸術を愛する市民が存続の声を挙げて何とか事業が継続されたのだ。読者にも問いたい。果たしてこの事業は無駄なのかそうでないのかと?実は実行者の私でさえ答えははっきり見つからない。感動は絶対に生まれていることは音楽家として自信を持って言えるが、その為に横浜から大オーケストラが大挙移動し演奏会を実現する費用は莫大なものだ。その金をもっと橋や道路、病院など、現実的なものに使う方がよいのではないか? 音楽なんて発した途端消えてしまうはかないものである。それでは何でお前はやっているんだと聞かれれば、こう答えるだろう。感動と言うと大げさだが、ああオーケストラってデカイ音がするな、あのお兄さんラッパ上手だな、髪の長いお姉さんのバイオリンの音美しいな、そんなちょっとの心の動きが感動だと思っている。それは興味を喚起し、しっかりと物を見る。、美しい物を見つめると本物を見る力が養われる。人生も本物にしたいという価値観が生まれて来る。そうして育った人間はどんな分野に進んでも必ず良い仕事をするだろう。物事に感動する人間は次には必ず人を感動させる仕事をすると信じている。それに音楽の感動はいつも与える必要はない。若い日に強烈なものを一度体験するだけでそれを一生忘れない。と考えるとかえって安上がりなのではないか? また経済的に見ても財政難のオーケストラが潤う。潤うことによって芸術的レベルが向上する。その向上したものをまた子供達に聞かせる。そうすると子供の感動がまた深まる。オーケストラが移動することにより流通経済が活発になる。鉄道、バス、ホテル。それに楽隊はよく飲む。現地に落とす飲み代は相当なもの。


 私はこれこそ国の事業でやるべきものだと考える。教育の機会均等の実践、芸術団体の育成、それに経済活動の促進を同時に可能にしている。文化庁の事業は地味ではあるが実に立派な仕事を積み重ねていることを読者にお知らせしておきたい。


 終了後、高島桟橋まで子供達、島の人々が見送りに。子供達はオーケストラと一緒に合唱した歌をまた歌い出した。「さようなら、さようなら」長崎上陸後、「坂本屋」にてシッポク会食。出席者、神奈川フィルベテランバイオリン奏者、村松、栗山、中久木のお姉様お三方。シッポクもご馳走、お喋りもご馳走の楽しい時間を過ごした。信頼出来る楽隊と喋ることほど楽しいことはない。モントレーホテル泊。



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桟橋で。「もう帰っちゃうの?」すっかり友達になってしまった子供達と別れを惜しむ。大人になった彼らと再会したいものだ。



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「さよーならー、さよーならー」この情景は、寅さん映画山田洋次監督とて描けないだろう。彼らが小さな点になっても手を振り続けた。



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高島が遠ざかる。左から二つ目が軍艦島。行きと違って船はかなり揺れた。