初心、童心、洗心、清心、、、和心
「はじめての星窓茶会」は、恙無く、無事に、終わることができました。遙々と足をお運び頂いた皆さまをはじめ、スタッフの皆さん、連続演奏を下さいました荒井さん、長丁場にわたり関わり続けてくださったメンバーの皆さん、この日は参加できなかったけど受講くださった皆さん、そして護国寺の関係者の皆さま、本当に本当にありがとうございました。
ゼロから何かを作り上げていくことの醍醐味は、ひとりではできない、ひとりでは到達しえない、人の営みそのものようで、だれかに頼んだり、頭を下げたり、補い合ったり、面倒なことを自ら買って出たり、そんなことやんなくてもいいのに、そんなコトに価値を見出だすかは、やっぱりそれぞれに委ねられているんだなあと。
わずかなひとときのために、どうしてこんなに時間やお金も費やすの??こんな、大事な選挙の日にって思う人もいたかもしれません。
僕自身が、回を重ねながら「今」思うのは、喜んでもらう顔が見たいから、、そんな笑顔の顔に包まれていたいから。
ただ、ただそれだけなんだと(^^)
その瞬間が、心底、「平和」だなって心が感じるから。そんな時間がみんなのなかに、どんどん広がっていけばいいなあって。
お茶をやっている身なので、あまり普段は口にしないようにしていますが、「お茶ってええなあ~」って、メンバーはじめ、参加者のお一人お一人のお顔を拝見しながら、改めて思わさせもらいました。ずっと準備を重ねてくださり、ありがとうございました。
お抹茶が大好き過ぎてお茶碗を手離さない4歳の男の子をみて、ああ!!お抹茶の飲みかったって、これなんだ!!!と(^^)
これで、いいんだって。もっともっと楽しむことって、なにも繕うことなんかじゃなく、自分自身の心の動かし方なんだって。
熊本という遠くの場所から、自分のお祝いにと、この会を選んで来てくださった方のお気持ちを伺って、何かをやる、その何かというアクションは物凄く責任があるんだ!!ということに、改めて気づかせてもらいました。そして、それに応えることができる自分なのか、改めて問い直していました。本当にありがとうございました。
最初は、あたふた半信半疑だったメンバーのみんなも、途中からは生き生きと輝きはじめて、終わる頃には「ありのまま」の表情になっていて、ほどよい疲れとともに、終わってしまうことへの一末の淋しさも去来しながら、、、
自然の循環を
水の潤いや、太陽の恵み、木や岩のちから、大地の上で綿々と紡がれてきた繋がりの和、、
自然であることへの誇りや、祈り、感謝を
干し果物や、三種類の水、弁財天の張り子や、結び、七夕の反物や、笙と、チェロの響きに託した時間、、、
自分たちで決めた「宙と地」のテーマの、最後の接続地点のように、あえてセットさせてもらった「談」の席で、向かい合って、ひとつに溶け合っていくような、わずかな時間を、荒井さんのおかげで共有することができたことに
これは、きっと
護国寺を建立した桂昌院様方からの贈り物だったんじゃないかと思いました。
戦国の世が終わり、少しでも哀しみや苦しむ人々の心をほどき、癒すために、「和」をもってこの日本を納めようとした桂昌院様の心中に、想いを馳せていました。
暮れなずむ時の繰り返しのなかで、まさに蛍火のごとく、このお茶会も泡のように消えてはいきますが、もしほんのわずかな灯火でも、皆さまのなかに、灯っていましたら幸いです。
奇遇にも、この日は護国寺では、四万九千日という功徳高き節目の日。
そして、大事なこの国の行く末も決める参議院選挙の日。懸命に声をあげた候補者の方々や、応援者の皆さまとは、対照的に
そんな日に、こうして、日がな一日「お茶と響きの三昧」に、大切な個性豊かな美しいメンバーたちと、参加者お一人お一人様と、心を動かすことができたことに、風に吹かれることができたことに、言葉にはしたくない!!!
心の底の底の底からの、大感謝を込めて。
またいつの日か、あたらしい時のなかで、おもむくままに、風のままに、何よりもそれぞれが「星星」のごとく輝きながら、ふとした笑顔のまにまにで、お会いできますのを楽しみにしています。
ありがとうございました。ありがとう。深謝。
平成28年7月12日
自然派茶道「星窓」主宰 目黒公久