サッカ―日本中の悲鳴が聴こえそうでしたが、まだ試合は続きます。
選手たち応援したいですね★次は20日ギリシャ戦午前7時NHKBS1メラメラ

日程などはこちらで★

やはりドログバ登場と言うだけでチームに力がわくと思います。

コートジボワールは62分、満を持してエースのドログバを投入、
64分、66分に連続失点


日本のチームにそういう精神的支柱の選手が不在なのかもしれません。

gooニュースより★ 2010年の記事です。
○内戦を止めた男

今回も負傷してたドログバ。この時も負傷しました。

強化試合で日本の闘莉王と接触し、右腕の肘を骨折したドログバ。
緊急手術を経て、7日にはスイスで調整中の代表チームと合流したそうです。

ドログバの負傷を、「これは酷い。心から同情する」「アフリカでの今大会は彼の大会だったのに」
と次々に書き込んでいました。

英『インディペンデント』紙 は「ファーディナンドのことはもういい。神様の復活を、
国全体がじっと息をひそめて待ちわびているんだ。あの人たちのことを思いやろうよ」
という記事を掲載。

「コートジボワールでは、ディディエ・ドログバは大統領よりも力がある」。

そして国の平和を守ることにかけては「フランス軍よりも国連平和維持軍よりも
実績がある」のだと。

ゆえに国中の教会はドログバの右腕のために祈っているし、
ドログバが初戦に出場できないとしても、「お守りとしてベンチにいてくれないと」
と国民は思っているのだと。

ドログバがサッカーを超えた国民的ヒーロー

「コートジボワール内戦を止めさせた男」と国民に敬愛されているからです。

コートジボワールでは2002年、与野党政治家や軍部が入り乱れる権力争いから
内戦が勃発し、政府派の南部と反政府派の北部に分裂。北部の住民は
真の国民(Ivoirité=イヴォワリテ)ではないなどという南部の政府派がまき散らす
分断の思想に反発して、南部出身のドログバが、みんな同じ「Drogbacité=ドログバシテ」
なのだと主張する運動を開始。

「Elephants(象たち)」と呼ばれる代表チームとチームカラーのオレンジは
、南部出身者も北部出身者もひとつになって戦う国民融和のシンボルとなりました。
そして2005年10月、06年ドイツ大会の本大会進出を決めた試合の後、
マイクを手にしたドログバは、更衣室でチーム全員と一緒に、生中継の
テレビカメラに向かってひざまずき、内戦をやめるよう訴えたのです。

動画はこちらで★ カメラに向かってドログバは、
「コートジボワール市民の皆さん、北部出身の、南部の、中部の、そして西部出身の皆さん
私たちはこうやってひざまずき皆さんに懇願します。

許し合ってください。コートジボワールほどの偉大な国がいつまでも混乱し続ける
わけにはいきません。

武器を置いて、選挙を実施してください。
そうすれば全てが良くなります」と訴えた。

そして(もちろんこれだけが理由ではありませんが)これが大きなきっかけとなって、
1週間以内に戦闘が止まったのです。
さらに2007年6月 アフリカ選手権予選の対マダガスカル戦は当初、
南部アビジャンで予定されていたが、ドログバ自らが大統領に直訴し、
北部にある反政府軍の拠点ブアケでの開催に変更。

南部出身者でしめられていた政府首脳も、敵対する北部の街を訪れ、
出身地に関係なく「コートジボワール」を応援し、そしてドログバたちは
マダガスカルを5-0で下した。

『インディペンデント』紙に、反政府軍「新勢力」(FN)の元指揮官は「ドログバに
そんなことができるとは思ってもいなかった。
しかし彼の行動のおかげで、国は再統一への道を前に進んだんだ」と話しています。
そして同記事いわく、ドログバはこれで神に近い存在となったのだと。

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