に反対した自民党〉 村上誠一郎衆院議員
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海外での武力行使を可能にする集団的自衛権の行使容認を、国民に
直接信を問うことなく閣議決定した安倍政権の「暴走」に、自民党内部で
「待った」をかけた議員がひとりだけいる。
村上誠一郎議員である。村上議員は永田町内外で積極的に反対の論陣を張り、
7月1日に行われた自民党総務会でも反対意見を述べていた。
閣議決定から3日が経過した7月4日、村上議員は岩上安身のインタビューに
応じ、時折涙を見せながら、集団的自衛権行使容認に反対する理由と、
政治家としての覚悟について語った。
記事目次。今回の閣議決定を受け、秋の臨時国会では、集団的自衛権行使に向けて
自衛隊法の改正を含め、十数本にわたる関連法案が提出されると見られ ている。しかし村上議員は、これから全国の地方裁判所で、集団的自衛権に関する
違憲訴訟が相次ぐだろうと指摘する。
このような事態にならないために、本来なら、内閣法制局長官が、
”憲法の番人”として総理を諌めるべきだった、と村上議員は語る。
しかし安倍総理は、自らと意見の一致する故・小松一郎元駐仏大使を
内閣法制局長官にすえるという、「首のすげ替え」を行った。
「中曽根(康弘)さんが偉かったのは、後藤田(正晴)さんのように、
自分と意見が違う方も登用した。
彼らは戦争体験もあり、ブレーキ役になっていた。
しかし今は、内閣法制局長官にしろNHK会長にしろ、自分のイエスマンを配置している」 自民党の変質~「為政者としての謙虚さ」が欠けている
村上議員は、特定秘密保護法の強行採決や集団的自衛権行使容認の
閣議決定など、極めてタカ派的な外交・安全保障政策が、なかば強引なかたち
で次々と決められている理由について、自民党の「変質」をあげる。
「派閥というと批判もあるが、昔はそれぞれの派閥の長の見識がしっかりしていた。
派閥というよりは、小さな党だったと思う。
『田中党』から『クリーン三木党』、『クリーン三木党』から『福田党』、
『福田党』からリベラルな『大平党』と、振り子のように、擬似的な政権交代が
行われていた。
ところが、森さん以降、ずっと清和会。だからどんどん、右に傾いてしまっている」村上議員が「リベラル派」として名前をあげたのが、故・後藤田正晴氏をはじめ、
故・梶山静六氏、野中広務氏、古賀誠氏、加藤紘一氏、与謝野馨氏、海部俊樹氏である。
彼らが自民党からいなくなったことで、党内に、特定の政策課題に対して、
論理的に考える風土がなくなってしまったと村上議員は語った。
村上議員がもう一つ「変質」の例としてあげたのが、自民党幹部に対する
人事権の集中である。小選挙区の導入と郵政選挙における小泉純一郎元総理の「刺客」戦術以降、
人事権が党執行部に集中し、選挙によほどの自信がある議員以外、自らの判断で政策に対する判断ができなくなってしまっているのだという。
「(自民党からなくなってしまったのは)為政者としての謙虚さではないか。
人事で抑えこむのはよくない。かつては、そういうことを自重している人が
上にいたから、自由闊達な議論が行われていた。
最近、党内の部会に行っていても、問題点がどこまで分かっているのかと
考えさせられてしまうことが多い」
亡き父の教え「自衛隊員に死傷者を出すな」
愛媛県今治市出身の村上議員は、中世に瀬戸内海で活動した
村上水軍の末裔である。
また、父親の村上信二郎氏は元防衛庁審議官、伯父の村上孝太郎氏は
大蔵省事務次官を務めたトップ官僚である。村上議員はインタビューの中で、父の信二郎氏から言われた言葉に触れ、
涙を浮かべながら次のように述べた。
「親父が死ぬまで行っていたのは、防衛予算は少なければすくないほどいい、
ということ。それから、自衛隊員に絶対に死傷者を出すな、と。私には分からない。
防衛庁長官をやった人たちが、自分より40も若い人たち
を行かせるのに、いとも簡単に、地球の裏側にまで行ってもらうんだと、そういう惻隠の情のないことを言えてしまうのかと。私には、分からない」
村上議員。「自分こそがミスター自民党だ」とも語り、「生きている間は、
正論を言わせてもらう」と力を込めた。(IWJ・平山茂樹)
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