「わからない」という、満ちなる未知な道 | フーテンの座敷童 Torakoのブログ

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言葉にすると分かりやすい

 

と、とられることが多いけれど、ほんとかな。

 

相手にとっては判断基準や想像の方向性になるけれど、

 

 

言葉を発する本人にとっては、

 

言葉にすればするほど、

自分の表したかった気持ちから

どんどん遠ざかる気がしてならない。

 

そんな、

まだまだ気持ちが言葉よりも、複雑で豊かな時。

 

「わからない」

 

という言葉は、それらをすべて含んでくれる。

相手にはわかりにくい。

けれど、自分にとっては、「何か」を表すよりはしっくりくる。

 

「わからない」は、決して

 

優柔不断ではなく

 

「わからない」には、

 

自分と外との間に

可能性と挑戦する気持ちが

まだまだあるということを

示している。

 

春も、まだまだ寒さといったり来たりしています。

 

はっきりすることよりも、

「わからない」という時間に漂い、

 

滴り落ちてくるのか、それとも

湧いてくるのか、

未知なる道を数歩あるくのも、

乙なものです。

3月に受けていただいた

kongensanにむけて