突然の別れ | 真の意味での『己育て』を・・・♡

先週 愛犬が亡くなりました。

 

 

私にとっても家族にとっても

それはとても突然でした。

 

2匹のチワワとご縁をいただいて

一緒に暮らしていたのですが

2匹とも14歳。

 

 

スムースでレッドの りぼんちゃんと

ロングでブラタンの マリンちゃん。

 

 

りぼんちゃんの方が半年お姉さんで

最近では目も白内障が強くなり

あまり見えないし 足腰も弱っていて

肌も炎症が出たりして 大丈夫かな。って

心配しちゃうのですが

 

 

一方のマリンちゃんは いつでも尻尾フリフリ

耳も目も健康で、

夜中でもいつでも私たちを発見すると

尻尾フリフリ 近寄ってくるし

 

ソファーの上にもピョンって飛び乗って

とても元氣でした。

 

 

でも 先週 マリンは急にとても苦しい呼吸を始めて・・・

夕方には 私の手の中で 息をひきとりました。

 

 

とても突然で 氣も動転して 悲しみの中でした。

 

 

 

体は温かさを失い

柔らかさを失って

 

 

ネットで葬儀場や 体の保存の仕方を調べ

そんな実務的な事をしながら

心がとても付いて行かず辛かったです。

 

 

後悔ばかりが先に来ていました。

 

でも、その日は 心から信頼できるメンバーと

たまたまzoomでMTGでした。

 

 

 

そして次の日 その中の一人と

会話をしました。

 

 

 

彼女は 「いつまでそれをするの?」と

 

 

悲しみの中で生きている方が

とても楽です。

 

 

 

後悔して その子の死を後悔して

それは自分の責任だと思い

泣いて暮らす事もできるでしょう。

 

 

 

でも それって とてもとても

傲慢で自分勝手なのではないでしょうか。

 

 

 

 

マリンちゃんはどんな子だったのだろう

いつも愛情を惜しみなく与えてくれて

尊敬できるそんなワンちゃんでした。

 

 

 

そのわんちゃんは 貴方に助けて欲しくて

この世に来たんじゃない。

 

 

 

人の死は 誰かのせいで起きることは絶対にない。

誰かの為に死を選ぶことも絶対にないのです。

 

 

 

 

全ての命は自由。

 

 

 

 

自分でこの地球を選んで

この家を選んで 自分で死を決めて

次の世界に旅立つ。

 

 

 

 

誰かに命を決められる事なんて

絶対に無いのです。

 

 

 

 

あの時、私が可哀想で可哀想で

泣いていたんだよね・・・

 

 

何もしてあげられなかった私を

演じ続けて 後悔してる飼い主したくて・・・

 

後悔して、もう一度やり直したくて。

 

 

 

急にマリンがいなくなった私が

可哀想で。

 

 

最低な自分を知る事ができました。

 

 

 

 

相手への尊敬って 違うよね。

そうじゃ無いよね。

 

 

マリンはとても素晴らしいわんちゃんでした。

 

 

 

でも、私が後悔して 死を後悔して

 

飼い主を後悔させるような死をしたマリンだとしたら・・・

 

 

 

それは マリンの生き方を 生き様を否定してしまうのです。

 

 

 

 

 

そんな犬でしたか?

 

 

 

いいえ、違います。

 

マリンはとても素晴らしい 最高の犬でした。

 

 

 

であれば、相手を認め 敬意を払う。

 

 

その死を選び、旅立って行ったマリンを

私は誇らしく思います。

 

 

 

 

相手の自由を 相手を認めるって

そういう事なのだと

今回のマリンの死で理解しました。

 

 

 

父の時も マリンの時も

私は 最後を立ち会っている。

(父の時は死に目ではないですが)

 

 

私はそんな人間じゃ無いのに・・・・

 

 

 

そう思って こんな場面に会いたく無い

そう悔やんで辛く思っていたけど

 

 

 

私を選んでやって来た命。

私も選んで迎えた命。

 

 

 

 

とても幸せな時間を過ごしたと

今は思います。

 

 

 

後悔沢山しても良いけど

それって相手に失礼だって分かってから

 

 

全ての出来事が 違って見えるようになりました。

 

 

 

 

昔、過去は変えられるってブログを書いたけど

 

過去は こうして 考え方で変えられるんだよね。本当に。。。

 

 

 

 

 

 

マリンは2日前から ご飯を食べなくなりました。

 

 

 

良くある事だったので

しばらく様子を見ました。

 

おやつはちょっと食べたりしたから。

またすぐ食べるって思って。

 

 

 

でも、亡くなった時、大後悔しました。

あの時 どうして病院へ行かなかったのだろうと・・・

 

 

 

でも、違うんだと氣付きました。

 

 

 

死後、マリンの体を綺麗にして

死後硬直が少し始まった時

私はお尻も綺麗にしてあげました。

 

 

 

残っていた おしっこがスーッと出ていました。

体から体液が出ました。

 

生きているってそういう事なんだと

とても生と死を感じる瞬間でした。

 

 

 

もちろん便も体に残っていて

軽く押してあげると 出て来て

それを取り、汚れた毛を洗いました。

 

 

生きてる時も

ちょっとお尻の毛自分のフンが付くだけで氣になって

私にお尻をくっつけて教えに来てね

 

 

一緒に洗面所行ってお尻のふあふあの毛を

洗ってドライヤーして。

 

 

そんな事を何度したことか。

 

 

 

 

そんな事を思い出していました。

 

 

 

 

そしてしばらくして思ったのです。

 

 

 

 

あ・・・マリンは死ぬ準備をしていたんだ・・・と。

 

 

 

体調悪く それでも食べていたら

きっと胃の中に残った食べ物が腐敗したり

下痢をしたりで 死後のお手入れの時に

大変だったかもしれません。。。

 

あの子は それをせずに

2日前に食べるのを辞め 準備していたんだって

 

 

 

そう思えたんです。

 

 

 

 

最後の最後にも ちゃんと私を呼びました。

 

私の手の中で息を引き取るために。

 

 

 

病院も その日 どういう訳か

連休を取っていたのです。

 

 

ほとんど休まない病院なのに

びっくりな4連休を取っていてその2日目。

 

 

もう一ヶ所も調べたら休みに入っていて

その後2日間は行けない状態でした。

 

 

 

倒れこんだ時

私は 猛烈に後悔しました。

 

 

 

獣医さんは山のようにある・・・

どうして連れて行ってあげなかったんだろうと・・・

 

 

 

でも、マリンは体重が1.5キロないとても小さい子で

私と主人にしか実は近寄って来なくて

とても愛情豊かな子なのですが

 

 

大きな手が お腹に触れたりすると

キャン!っと言って私たちでさえ

びっくりする事もあったり。笑

 

 

小さすぎて 怖かったんだと思います。

 

 

 

そして、甘えん坊のまーちゃんは

絶対に離れたくなかったんだと思います。

 

 

ただただ 私たち家族の側に居たかった

そして管に繋がれたり 注射されたり

そんな事を望んでいなかったんだって

そう思いました。

 

 

病院 嫌いだったんだって。

 

 

 

獣医さんのお休みがそんな日に2つもあるなんて

今思えば不思議すぎますもんね。

 

 

 

そして、私自身今は仕事を休んで

一日中家にいます。

 

仕事を続けていたら帰りは19時過ぎです。

 

きっと帰ってきた時にはマリンは

死んでいたかもしれない・・・

寂しくて仕方ないよね・・・

 

 

全て、必然だった。

 

 

 

だから マリンの生き方は

マリンが本当に自由に決めて

そして旅立ったと 今は尊敬しています。

 

 

 

それが私の愛犬なんだと 誇りに思います。

 

 

 

 

私は そんな生き様を見せてもらえて

頑張ろうって思えました。

 

 

よっしゃー!頑張るぞ!って言う

頑張るとは全然違って

 

 

 

粛々と 自分で決めた生きる様を

真摯に生きていきたい。

その先にあるものが見たい。

 

 

その為には 頑張れる。

私の元に来てくれた マリン

そして 今ある家族 

友人 全てに

感謝を尊敬を持って

生きていきたい。

 

 

 

そう感じました。

 

 

そう思えたら

 

後悔や 死への考え方が

変わりました。

 

 

魂は ある。

 

 

いつだって マリンを感じられる。

そして教えてくれることが山のようにありました。

 

 

 

 

葬儀場も最初ここじゃないって

思ったところだったけど

 

マリンの偉大さを感じた後に

色んなことが分かってきて

魂で選ぶことができました。

 

そして、最初違うかなって思う氣持ちさえ

あ〜、エゴや傲慢だったなって知れて

斎場を最初のところにしました。

 

 

結果的に 最高の葬儀ができて

最後のセレモニーは心に残る

思った通りの マリンが決めた通りの

お花沢山に囲まれた葬儀になりました。

 

 

 

 

繋がりたい 声が聞きたい

本当にそう思えたら

ちゃんと話せるんだと分かって

びっくりしました。

 

 

そして、マリンが全部教えてくれました。

 

 

 

葬儀に飾る写真も

何色の花でどの花が良いかも。

ちゃんとそのお花が葬儀場には用意されていました。

 

 

そして、いつが楽しかったかも

 

あの時どう思っていたかも

 

 

本当に凄いなって思いました。

 

 

 

その時の会話は 全部メモに残して

主人に見せました。

 

 

とても喜んでくれました。

 

 

主人も同じように後悔していたから・・・

 

 

 

でも違うって分かったし

マリンの生き方を尊敬できた瞬間でした。

 

 

 

死は悲しいです。

でも、そこにはただ在る。

を感じる事がますます出来ました。

 

 

初七日が終わり(うん、この辺は人間ぽいでしょ?私。笑)

やっとブログに書こうと思えました。

 

 

 

こうした人間ぽさも しながら

本当の生きるを感じ知って行きながら

この先も 私らしく進んでいこうと

思いました。

 

 

 

 

まーちゃんは 抱っこもちょっと怖くてね。笑

 

家族みんなと江ノ島に行った時が一番幸せだったと

そう教えてくれたマリンの葬儀の写真は

マリンがこれにして欲しいと

教えてくれました。

 

 


 

私が一緒の写真ってなんかちょっと・・・

って最初思ったんだけど、

 

大好きな大好きな私に抱っこされて

家族みんなで江ノ島行けて

本当に幸せだったと・・・

 



そして、この何かを訴える表情が

何よりもマリンらしいと

家族みんなで やっぱりこの写真だね。ってなりました。

 

 

 

 

人間って 触ったり 感じたり 匂いを知ったり

その感覚を持ってこの地球にいるって

やっぱり素晴らしい事だって思いました。

 

 

 

ふぁふぁな まーちゃんを 撫でる感覚を

もう一度味わいたいけど

もう出来ません。

 

 

でも その感覚を心に持って

一生忘れずに生きる事ができる

人間って やっぱり素晴らしいと

そう思います。

 

 

 

生きているこの人生

どう生きるか とても大切に考えて

生きて行きたいと思います。