広汎性発達障害と診断に至ったのは、3歳4ヶ月の時です。
3歳2ヶ月に、保育園に入園しました。
その時、かずは、ママは言えてなかったです。私が、ママって言うと、おうむ返しで、「ママ」って言ってましたが、言葉に意味がないと言うか。。
ただ、音を口にしてるだけで、意味がふくまれてない、ママ。でした。
さすがに3歳で、ママが言えないのは、おかしいかな?と思っていましたし、1歳半から、私は心の中で、自閉症を疑っていたので、早く話をしてほしいと、願っていました。
その頃は、とにかく。障害児で、あってほしくない。と思っていました。

(今は、なんでもいいから、楽しく充実してる人生を生きてほしいと思っています)
(*^_^*)

保育園には、普通に入園でき。
母は不安はありましたが、
普段、近所の子と遊んでいたし、
(でも、今思うと、一緒には遊んでなかったんですね。同じような空間にいるだけで、かずは個人プレーしていました)
同世代の子と遊んでいて、トラブルはなかったし、
(そりゃ、個人プレーだからかー 笑)慣れれば大丈夫かな。とは思っていました。
でも、先生に、障害?とか、この子、少し違う?とか気付かれないでほしい。と心のどこかで思っていました。
当時の、この感情なんだろう。、、
きっと普通だから、
普通であってほしいから、
決定的な、この子は障害がありますと言われる事が恐かったんだと思います

当時、23歳で、3歳児のかずの母だった私は、無知が故に、偏見があったと思います。
また、自分の記憶で、自分の子供の頃は、友達関係にも困らず、割と活発な性格だったので、自分の子供も活発なんだろうと思っていたのもあります。

保育園の話は、少し長くなりそうですが、少しづつ書いていきたいので、読んでもらえたら嬉しいです


夏休み最後の愛子は

最後だからと調子に乗って、プールに入り寒すぎて、撃沈しました

夏休みは平日は仕事をして。土日はお休みをいただき、良く遊びました。仕事の日は
香奈たいは保育園に行ってくれてて、かずも、児童クラブでがんばってくれました。
みんなが健康で、いてくれてるから。
今の生活ができています。
ありがとうです!(*^_^*)

おやすみなさい
愛子