自分らしさ、って、

自分が勝手に思い描いている理想の自分のことを言うのじゃないかしら、と

最近考えてる。

 

デビューしたのが17才の時。

 

そこから割とすぐメディアに露出させて貰えたのは、

今振り返っても、やっぱりすごく恵まれていたと思う。

 

思春期真っ只中、自己肯定力が不安定になっている時期に、

表に出るのは、それなりに傷付いたりもしたけど、

かけがえのない自分の財産になった。

 

はじめは周りが抱く自分への印象と自分が思っていた自分への印象の違いに、

戸惑ったりもして。

 

向き合う対象がクラスメイト30人から、

カメラの向こう側の何千何百って単位の人にいきなりなった訳だから、

普通に追いつかないというか、思い通りにいかないのは当たり前。

 

でも、当時は大きなところで物を見る力もないし、

それはそれはただ真っ直ぐに、なんの面白みない感じで、

チーム内で小さな反乱と革命を繰り返していた訳です。笑

 

だけど最近になって、やっと思えるようになったのは、

自分らしさを決めるのは、周りなんじゃないかな、ってことです。

 

自分って鏡に映さない限り見えないし、

実は自分のことって自分が1番盲目的な気がして。

 

心で思っていることがあっても、やっぱり行動がすべてで。

 

その行動は、周りにいる人が受け取るものだから。

 

家入さんってこうなんだね、って言われた時、

前までは、違う、そうじゃない、と簡単に反発してたけど。

 

例えば、かっこいいと思われたくてした行動が、

相手にかっこ悪く取られてしまったら、それは相手が悪いんじゃなくて、

かっこいいと思わせられなかった自分の力不足というか。

 

自分が思う自分らしさ、と、周りが思う自分らしさ、を

より近いものにして行くその道のりで人はきっと磨かれていくんじゃないのかな、と。

 

自分らしさ、を、どの行動でどの発言で周りに示していくか。

 

言葉ひとつとっても、十人十色の受け取り方があるから、

難しくて、でも、ミラクルが起こったりして、楽しいんだろうなぁ。

 

自分が思っていない自分を提示されたら、

その自分に100なりきることも立派な表現。

そこにまた100抗うのも最高の表現だと思います。

 

みんなにはどう映っているかわからないけど、

これまで割とずっと抗って表現してきたタイプだと思っているので、

最近は、求められている自分に200で向き合える自分がいいなぁと思ってます。

 

無意識で染められてしまっているのと、

しっかり染められている自覚があってそうなっているのって、

結果が同じでも、大きく違うと思うから。

 

色んなテイストの曲、作りたいし、作ってもらいたいし、歌いたいなって。

 

そんな気分です。