朝起きて、顔を洗い、歯を磨いている間にバスタブにお湯を張る。

 

シャンプーは夜と決めているので、髪の毛は濡れないよう高い位置で結び、体と心だけサッパリさせる。

 

猫っ毛である私の髪は湿気にとてつもなく弱いのだけど、その時々のニュアンスも割と気に入っている。

 

簡単にブラッシングして身支度を整えてから、家を出た。

 

タクシーが拾える通りまで、キャリーバッグを引いて歩く。

 

今日は世界の喋り声がとても良く聞こえた。

 

すれ違った犬は肥満対策目的のドックフードが口に合わんと怒っていたし、

剪定された葉っぱたちがやっと違う生き物に生まれ変われるチャンスを貰ったと息をひきとる瞬間を見たし、

ペットボトルは自分にぴったり合うキャップを探す旅に渋谷から来たんだと話してくれた。

 

似たようなことを小さい頃、手を繋いでた大きい人に言ったら、

おかしな子だと思われるからやめなさい、とやんわり注意された。

 

私は本当に、本当に驚いてしまって、口が利けなくなった。

 

さっきまで歌うように喋っていた私が隣で黙々と歩く姿を見て空気を変えようとしてくれたのだろう。

 

その時その人は言ったのだ。

 

自動販売機の前で、ジュースを買ってあげようか?、と。

 

私はいよいよ訳が分からなくなって軽いパニック状態になり、火がついたように泣き出した。

 

その人は驚いたように、どうした?どこか痛い?とたくさん質問をしてくれたけど、

私はずっと泣いていた。泣きながら思った。

 

どうして、空や犬やネコや花やバス、おにぎりやパンとお話ししちゃいけないんだろう?

 

昨日とよく似た今日をちょっとでも新しい楽しい今日にしたい、と思うことは、おかしなことなのかな?

 

きっと私よりたくさん生きているこの人は、そんな工夫もなしに、どうやってこれまで生きてきたんだろう?と恐ろしかった。

 

そして今、思う。

 

そう言う力が、ある、とか、ない、とか、変、とか、おかしい、とか、そう言うことじゃなくて。

(そもそも力、って考え方があまり好きじゃない。)

 

世界に対して、自分を開くか、閉じるか。

 

感じようとするか、しないのか。

 

ただ、それだけなんじゃないかな。

 

あの時、私は、そう言うことを相手に伝える方法を知らなくて。

でも世界に対して自分を開くな、と言われたことがショックで黙り込んだ。

 

そこで嫌いになれたら良かったのに、その人は私にジュースを買ってくれようとして、私は泣いたのだ。

 

さぁ今日は神戸公演です。

 

20公演のツアーも19公演目。

 

やだやだやだ。

 

でも、歌う。

 

行ってきます。