先日、千葉 幕張メッセでDUOツアーのファイナルを無事に迎えました。

 

全20公演。

 

どの公演にもスペシャルなドラマがあり、

その日のライブを終えてステージを後にする度、見えてくるものがありました。

 

はじめは、ぼんやりとした光で。だけど、間違いなく光で。

 

その光が一定量を超え言葉という姿を得、私に何かを囁かない限り、

人として次の次元に進めないんだって思ったから、とても静かに熱を持って歌いました。

 

バンドメンバーから発せられる、湿度や温度、匂いや色、視線。

 

会場に来てくれたみんなの瞳の奥にあるもの、が、私をいつも導いてくれました。

 

どうも、ありがとう。

 

19公演目の神戸を終えファイナルを迎えるまで数日間、

あっこれは後々大事な瞬間だったって思い出すやつだ、って場面が集約されていて。

 

生きた言葉を貰いました。

 

その中でも、1stからずっとライブに関わってくれている人からの問いかけと、覚悟は、

27日の私の在り方に繋がるものになりました。

 

「はじめから自分を持っている人なんだよ」

 

「音楽と向き合うあまり、裏の裏の裏の裏に行ってしまうね。でも行かないでって簡単に言えない。

それがあなたの生き方だし、そこから発せられるパワーが確かにあるから。」

 

「でもね、びっくりするくらい自分をとても、持っている人なんだよ」

 

この人が神戸公演を観て私に何を感じ、何を伝えたがっているのか分かって、

心にあったものが全部、瞳まで迫り上がってきた。

 

分からないくせにって、どうしても思ってしまったし、

だけど、この人に見抜かれてて、本当に良かったと思いました。

 

ステージで自分を強く持つ、って一口に言っても色んな在り方があって。

 

ライブは、バンドの音や来てる人の瞳の色を受け取って歌えるから楽しくて。

その日その場所に足を運んで、私が歌う意味がある。

 

だけど、それに影響されすぎて軸がなくなることは、自由って言うと聞こえは良いけれど、

その場にいるみんなが迷子になる。それは、自分だけが気持ちよくなってしまうことで、お家か趣味でやることだ。

 

どれだけ受け取って、どれだけ自分に還すのか、無意識に按配を確かめてしまうこと。

 

だけど、そんなこと考えなくても、私は私なんだって、その人の言葉で改めて気づいて。

 

今まで以上に自分の思うように歌って、自分自身がメロディになり言葉になるあの奇跡みたいな瞬間を。

 

自分の内側に鍵を掛けて行うんじゃなくて、全部外に開いたまま展開しようって決めました。

 

ファンクラブの方にも書いたけど、

ステージに立っている「私」を通して、来ている人はみんな「自分」を見ていて。

日頃の色んな気持ちを、自分を、私に託して、私が音楽でそれを爆発させる。

 

だから私が私を開放すればするほど、来ている人は自分のことも解放できる。

でも私は、誰か、に歌わされてはいないし、自分の意思で自分を解放する。

 

結果的に、それが来ているみんなの心を解き放つことにも繋がっているのかしら、って

ライブの後にぼんやり気づくくらいがちょうど良い。

 

ステージの上でそれに気が付いてしまったら、それはブレーキだよね。

どちらかが、どちらかを無理に背負おうとしたり、

お互いの為に、なんて、生温い優しさを口にした瞬間に何かが失われてしまう。


その絶妙なバランスで成り立っているライブに、私は永遠の美しさを感じる。

歌うことが、私はとても好きだ。

これからも、私は私の音楽を思うように届けて行く。

そして、みんなが寂しくて、後ろを振り返ったとき、絶対大丈夫って頷ける人でありたい、です。

 

それが今の私が思う、本当の優しさ。

 

本当の優しさは、自分が疲弊したり壊れたりしないから、

ずっと、命が続く限り、歌が歌えることなんだって、私は今とてもご機嫌です。

 

みんな、ありがとう。