父と母は正反対の人で。
だから惹かれ合ってしまったのか、ご縁だったのか、麻疹にかかったのか知りませんけれど、
どうしてこの人たちはくっつくことになったんだろう?と子どものわたしが不思議に思うくらい、
異なった価値観を持った二人で。
一つの家庭として一つの提案を聞かされるスタイルではなくて、
父の提案、母の提案を、自分の心で聞いて、私の答えで生きていくような、ことが、
すごく、とても早い段階から実践されていたように思います。
子どもの頃は、それに狼狽したし、
友達は決めてもらっているのにどうして私は自分で選ばないといけないの?って神様に聞いたりすることもあったけど、
大人になったら嫌でもそうしなくちゃいけないのだから、早いうちから練習させて貰って毎度!くらいには
思えるようになりました。
時間が経って、私も大人になり、父や母ではなく、対人、一個人として接することが出来るようになってからは、
何となく二人が手を取り合って同じ道を行こうとしたことが分かるようになってきて。
上手に言えないけど、父と母は、それぞれに強い濃い「色」を持っていて。
「色」は違うんだけど、強烈な「それ」を持っていることでのみ結びついたのかなって。
それが幸せだったのかは知りませんが、笑、
人生ってすごいです。
強烈な「色」を持った二人が、時間の波で自分の命を洗濯して。
揉み洗い、押し洗い、叩き洗い、つかみ洗い。
たくさん、たくさん、何度も、何度も。
目に痛かった色は、まろやかでとろんとした色になったようで、おめでとうございます。
父と食事したり、電話したり、母と買い物に出たりして、
あぁいい男、わぁ素敵な女、と娘は敬意を持って思ったり、します。
そんな正反対の色を、ひとつの体に宿したわたしは、とびきり元気に平気と激情の中で暮らしています。
感動するものに出会ったとき、いつでも素直に感動出来る人でありたいです。
映画や絵や人や料理ならそれが素直に出来るのに、
この前、違う国の人が、違う国の言葉で歌っているライブを見たとき、
私は素直な涙を流せなくて、それがとても悔しかったし、もっと歌えるんだなぁってじんわり嬉しかった。
自由のその先を見てみたい。
感動してちょっと傷付くなんて、心の貯金減らしてるなぁって思うけど、泣きながらピースででんぐり返しの私おかえりって嬉しいです。
今日は本当は学園祭で、台風の影響で会いに行けなかった。
みんなが、金木犀の香りを胸いっぱいにはやく、吸い込めますように。