ホームページ公開に向けて、改めて渋川飯塚ファームのはじまりから色々を書いています。今日は前回の続きで、野菜を栽培して生計を立てていくはずが、なぜハーブを栽培することになったのかについて書きます。
群馬に来た当初は野菜を作って生計を立てていくつもりで、最初はチンゲンサイを栽培することにしました(植え付け〜収穫までのタイミングが短く、すぐに収入が見込める)。管轄のJAに相談に行って、チンゲンサイ農家さんを紹介してもらい、その方に一から教わりながら栽培しました。
その当時、田舎に若い夫婦が農業するために帰ってきた!ということで近所の人やJAの方、県の職員の方、チンゲンサイの師匠etc...たくさんの人がうちの初植え付け&初収穫を手伝いに来てくれました。チンゲンサイの師匠からは初出荷の野菜を見て「いいのができたなぁ!」と言ってもらって自信ももらいました。
当時の写真↑植え付け〜初出荷
私たちもついにここから農家になっていくんだな〜と感慨にふけっていたのもつかの間、これ以降のチンゲンサイが全く出荷できなくなって愕然とするのでした。その当時、初出荷後に書いていたブログを読み返してみたら「これからどんどん量産するぞ!」とか書いていて・・・今なら笑えますけどね。
チンゲンサイが出荷できなくなってしまったのは、初出荷した畝より後に植えたものが全て、葉っぱが縮れたり黄色くなったりしてしまったからでした。その原因は畑の土壌成分によるものだったのですが(詳しくは省きます)、JAに相談したところ改良は難しく、それなりに投資をしたチンゲンサイをすべて諦めることになってしまいました。
そうなると予定していた収入のアテがなくなり、どうしようかと悩んでいたときに、チンゲンサイが全滅したその畑の端っこに、マンションのベランダのプランターから移植したハーブたちは青々と繁っていて・・・
「とりあえずこれを売ろう。」
ということになったのでした。思いもよらないきっかけでハーブを出荷することになり、最初は私の趣味の延長でたくさんの種類のハーブを育てていたので、手当たり次第売ってみましたが、まーーー売れない。わかってはいたけど売れなくてね〜。なので早々に、「生のハーブを出荷してもどうにもならない、加工品にしよう」ということになりました。
でもあんなに手をかけたチンゲンサイはまるでダメだったその畑で、まったく放置していたハーブたちはむしろ生き生きと、青々と繁っているのが不思議でした。そんなハーブたちに希望をもらい、ハーブで加工品を作って売るということに活路を開いたのでした。
そのときにハーブ加工品第一弾として作ったのが、今のうちの主力商品である「ハーブ×フルーツジャム」です。なぜジャムにしたのかは、また次の記事で書きますね。
2012年10月に載った記事↑まだ野菜を作る方がメインの生活でした。