お金が巡るようになってきて
1年前よりずっと使い方の選択肢が増えたけど
今の現状の豊かさを存分に感じることって
やっぱり大切





はじめの頃は
高級感のあるレストランやホテル。ラウンジ
新幹線はグランクラス等々…
今まで触れたことのない世界に触れる事が楽しくて、
そしてそれらを『ご褒美』ではなく
『当たり前の選択肢の一つ』にしていく事が心地よかったけど、





どんな事でも一度や二度自分でやってみれば
『当たり前に浮かぶ選択肢の一つ』に入れることは簡単で


だけど自分の日常に戻ったときに
その“豊かな感覚 ”が消えるのは
本当の豊かさを楽しめる世界に変化していないのだと
ある時気付いたのです















例えば家では
ボイラーはもったいないから必要な時以外は使わない。とか
ちょっと高かったからチビチビ使おう。とか、
素材がいいからここぞってときにしか着ないとか、
ウォシュレットや便座を暖める線は抜いているとか…?(笑)





温かいお湯を常に使える豊かさを実感してない
便利な道具や効果のある道具を使える豊かさを実感してない
好きなときに好きなものを身につける豊かさを実感してない



本当はそれができる空間にいながら、
そんなに差のない金額なのにも関わらず


ちょっとの我慢。
ちょっとの手間。
を強いる日常生活を選択している。。。













そのくせ外ではちょっと自分に豊かさをハート
って、
本当の意味で豊かなココロを作っていることにはならないし、

当たり前の日常に豊かさを実感できるからこそ、
心地よい選択って広がると思うのです。





今日は疲れたからタクシーに乗ろう。
今日は天気がよくて気持ちいいから歩いて帰ろう。

とかね。





だけどこれだって、
自分にお金をかけれる豊かさ
自分に時間をかけれる豊かさの違いしかなくて
どっちにしろ心地よさを感じれる世界って
とっても豊か





それで、そんな風に日常を見返してみると
もっとかけられるモノって目にはいってきて
物質と体感の両方の豊かさが広がっていく
身近にある“小さな豊かさ”を存分に感じながら
“大きな豊かさ”を引き寄せられる






もちろんご褒美だろうとなんだろうと
どっちも体感するからこそ得られる感覚だし
自分の受けとる器も広がるから、
高いものの豊かさを実感したことないのに
『豊かさってお金じゃないよね』ってゆーのもナンセンスだと思ってます。







私は現状の自分。今を感じる自分を
おいてけぼりにしないように、
その上でもっともっと体感したい世界があるから
どんどん拡大していきたいなハート