菅義偉総理(厳密には自民党総裁)退陣を受けての自民党総裁選挙たけなわである。菅総理については、歴史がより公正な評価を下すであろう。功績は小さくない。順不同に挙げるだけでも、デジタル庁の創設、携帯電話料金の値下げ、35人学級実現、最低賃金の引き上げ、不妊治療助成、学術会議改革の始動、福島第一原子力発電所処理水の海洋放出決定、後期高齢者医療費窓口負担率の一部引き上げ、オリムピック、パラリンピック断行、それに憲法改正の前提となる改正国民投票法の成立を付け加えてもよい。これだけのことを、コロナ禍にあってその対策に追われながらも、わずか1年1カ月余りの間にやり遂げたのだ。菅氏は、もっと敬意を払われてもよいと思う。

総裁選挙に話を戻そう。立候補が最後まで取り沙汰された石破茂氏は、結局出馬せずに、またはできずに終わった。その一因は、党内の不人気であると言われる。石破氏には、富士山のようなところがあるのではないか。人物評としての「富士山みたいな人」というのは、かなり微妙である。実は、必ずしもほめてはいない。遠くから見た富士山は、確かに美しい。しかし、登ろうとして麓まで行くと、実際の富士山は茶色い岩の塊だ。つまり、実際に接触がない人々には評価が高いのに対して、身近で接している人々の評判は最低、外面だけよいというということなのだ。

 断っておくと、私自身は石破氏と一面の識もなく、特に好きとか嫌いとかの強い感情は持っていない。ただ、石破氏の経歴を概観すると、ある意味見事であると思う。そもそも政界入りのきっかけは、田中角栄氏に声をかけてもらったこと。当然田中派の国会議員となる。ところが、田中角栄氏が脳梗塞で倒れると中曽根派に鞍替えする。中曽根氏にリクルート疑惑が出ると、武村正義氏らと勉強会を作って派閥と距離をおいた。そして宮沢内閣で農林政務次官に起用されたのに、宮沢内閣不信任案に賛成票を投じる。その後を受けた細川連立政権下では、小選挙区比例代表並立制を導入する内容の政治改革法案に、野党となった自民党は党議拘束をかけて反対。それを無視して賛成した。離党して小沢一郎氏率いる新進党に合流するものの、小沢一郎氏と衝突して、自民党に復党した。復党はしたものの、誰にも相手にされないのを見かねたのか、伊吹善明氏に面倒を見てもらい伊吹派に入れてもらったのに、派閥批判をして伊吹派を抜けて、石破派を作る。麻生内閣では農水大臣に就任。ところが、麻生降ろしに加担。財務相・金融担当相、与謝野馨氏と連れ立って、麻生氏と官邸で面会し、直接退陣を促したという。これが遺恨となっているのは周知のことだ。その後、安倍首相から自民党幹事長に起用され、第二次安倍政権では地方創生相に就任する。その後、またまた安倍おろしに加担。恩人を見事に裏切り続けてきたというしかあるまい。何らかの恩を受けた人の中で、この人が弓引かなかったのは、防衛相に起用してくれた福田康夫総理くらいではないか。

 無論、これらの行動に恥じるところのない理由があるなら、それを説明するべきであろう。過去に総裁選挙に立候補しているし、今回も間際まで出馬が取り沙汰されていた。ならば、一度は脱党してまた復党した経緯についてだけでも明らかにする責任がある。

国民には人気が高いそうだが、自民党での評価は推して知るべし、というところだろう。また、メディアの報道にも問題がある。石破氏が一般国民には人気があり、政治家には不人気であるという事実を伝えるだけでは、自民党の職業政治家が世論に背を向けているか世論に鈍感だという印象が生まれてしまう。職業政治家たちには不人気なのにはそれなりの理由があるのだという事実も、合わせて伝えるべきであろう。

 一方で野党は、総裁選挙に報道が集中することを難じている。しかし、総裁選挙が耳目を集めているのは何故なのか。総理の座に直結する重要な選挙だからというのは、多分に建前である。本音は、「面白い、わくわくするから」だろう。勝負の見えた選挙なんて、興味がわかない。やってみなけりゃ分からない、次のシナリオは?と、次々と話題は尽きない。メディアが飛びつくのは当たり前。

 翻って、そもそも勝敗に興味のわく党首選挙なんてやったためしのない政党が、よく言えたものだ。そういう意味では、自由民主党は、やはり日本で唯一まともな政党である。政党内デモクラシーの必要性については、確かに議論の分かれるところであろう。不要論は、確かに成り立たぬわけではない。

 それにしても、20年以上にわたって最高指導者が変わらず、しかも党首選挙もないという政党と比べて、どちらが良いだろうか。他ならぬ日本共産党のことだ。共産党参議院議員を務めた筆坂英世氏によれば、委員長は、「党規約によると、党大会の参加者が無記名投票の選挙によって決められます。ところが、志位さんが就任してからは、まったく選挙が行われていないのです。今は議長がいないので、仮の議長が、『どなたか委員長に立候補する人はいませんか?』と問い、誰もいないのがわかると、仮の議長が『志位委員長を続投します』と発言。全員がワーっと拍手して終わりなんです」ということらしい。(デイリー新潮9月21日)

 総裁選挙に2人の女性が立ったということも、注目を集めている。過去に、初の女性総理誕生かと騒がれた方は、2人思いつく。土井たか子氏と小池百合子氏である。土井氏については、知らない人も多かろう。既に鬼籍に入られているし、活躍されたのは、昭和から平成に移るころだ。しかし、このお2人は、言われるほど総理の座に近づいていた訳ではないと思う。政権党の党首の座を目指すという、言わば王道を行く高市、野田両氏に対して、小池氏はわき道から行こうとしてしくじっているという印象。土井氏は、日本社会党党首として衆議院の多数を得るという王道を試みたと一応は言える。しかし、ブームを起こしたと言われた平成2年の総選挙での社会党の候補者は149人。当時の衆議院の過半数は257人だったから、全員当選しても遠く及ばない。不戦敗だったと言っていい。土井氏は完全に過去の人。小池氏は、都知事に専念するか、「都民ファースト」に責任を持つべきだと思う。

 総裁選挙の報道で不思議にあまり触れられないのが、候補者4人の中で高市氏だけが、世襲ではない、たたき上げの政治家だということだ。2世だらけ(河野、岸田両氏に至っては祖父の代からの3世議員)だと問題視しているメディアは、もっとこの点に着目するべきでは?いや、本人の親が誰かより、政策が大事なんだという考えにも一理はある。とはいえ、もしそうなら今後はやみくもな世襲批判は控えるべきではないか。

 親から地盤を受け継いだわけでもない高市氏は、ある程度背伸びというか無理をざるを得なかったという面は、斟酌されてしかるべしと思う。経歴の詐称という疑惑も、そこまで悪質ではないと思うのだが。

 私自身の選好は、まず野田氏は論外。河野氏も政策に難あり。ということで、高市氏と岸田氏なら、高市氏を採る。とりわけ、女であることを売り物にしない姿勢は爽やかで好感が持てる、と言ったら一部の方々の神経を逆なでするかな。岸田氏でも悪くはないが、というところだろうか。確かに岸田氏には、マイルドに過ぎて物足りないところがあった。しかし、9月8日付電子版ウォール・ストリート・ジャーナル紙のインタビューは、おやっ?と期待を抱かせるものであった。日米両国は台湾有事を想定したシミュレーションを共同で行う必要があると述べた。そして、日本は先制自衛攻撃はできないものの、「日本は撃たれるのを黙って見ていることで国民の命を守れるかどうか」とした上で、「向こうのミサイル攻撃能力を阻止する能力も持ち合わせる必要がないだろうか。これは問題提起だ」と述べたとのこと。言っただけ、単なる問題提起に終わらせないのなら、支持できる。

 野党については、そもそも私は期待していないから、正直どうでもよい。しかし、自分たちがなぜ支持されないかの原因を、どうも取り違えているようにも思うので一言したい。人間はストレスが重なると、いらいらが昂じてしまうものだ。例えば、朝の食卓でかみさんとやりあって不愉快なまま出勤途中、電車で足を踏まれたとする。普段は、冷静に対応できるのに、思わず「痛いやんけ!」と言ってしまうとか。日本人は現在、もう2年近く続くコロナ禍で疲弊し、十分ストレスがたまっていると言える。そんなときに、批判と文句ばかり言っている存在には、余計にいらいらするのではないか。野党である。

 野党は、希望を語らなければならない。森友だの桜だの、やりたいなら総選挙が終わってからにして、今は封印しなさい。立憲民主党は、「アベノミクスの検証と評価」を発表している。政権の政策の検証は、野党のするべき仕事だとはいえ、今はやめた方がよい。かわりに「エダノミクス」でも何でもいいから、立憲民主党が政権を取ったらこうする、こうよくなるという話だけにして、アベノミクスがどう悪かったかなんてことは一切言わない。ひたすら、こうすればこうよくるという話に徹して、しかも政権与党の批判は抑える。批判にいくら理があると自分には思えても、やめておくことだ、今は。