江美城 日野郡江府町 | 山城攻略日記

山城攻略日記

北海道から沖縄まで、日本全国の有名所の城を旅し…
現在は地元・鳥取を中心とした城巡りの日々(^-^)/

標高284m・比高150mの江美城(江府町江尾)富士山

調査報告書の縄張図は、東西の表記が間違っており、実際には線路の東側に存在する…


江美城は蜂塚氏初代の安房守の築城と伝わるひらめき電球
その後、二代三河守、三代丹波守、四代右衛門尉と、八十有余年に渡って続く動乱の時世に処し、堅固な要害と有力な武力を保有し、殊に城下領民を育て、鉄山と開田の技術を家業とする、和戦兼備の特色ある蜂塚氏一門の居城であったニコニコ

尼子毛利の攻防続く中で、毛利の吉川元春は、軍勢3000に鉄砲隊を差し向け、その采を杉原盛重に命じた爆弾

この日あるをかねて覚悟の城主・右衛門尉は、この大軍を迎え撃ち、奮闘敢斗死力を尽くすも衆寡敵せず、遂に自ら城閣炎上を命じ、割腹して城と運命を共にしたのであった…

城主の壮烈な自刃の様を見て、家臣郎党ことごとく城主の後を追い、江美城はここに落城…

時に永禄八年八月六日、朝まだ昏き刻であった…

江美城主右衛門尉は尼子の悲運にあるのを見て
「弱キヲ捨テ、強キニ附カンコト、禽獣ノ心トヤ云ウベシ」
と断じ、吾れと吾が一門の安泰をかなぐり捨て、武人の友情と節に殉じた、稀代の武将であった…

里人達は、この哀しき宿命に果てた城主や家臣の霊を弔い、またこの江美城中で催されてきたぼんやりの十七夜踊りをの思い出を秘めて、来る年も来る年も踊り伝えて四百年の歳月は流れた…

哀しくもゆかしい物語が、今も尚、江美十七夜踊りとして続いている。

この踊りは無形文化財として指定を受け伝承されている…
(現地説明文より)

現地案内図ひらめき電球


八幡丸には模擬櫓がひらめき電球


現地案内図で「空堀」とある所は堀切合格


そして畑地となった場所には櫓台の跡が…


全体的に公園、畑地となり、容易に訪れる事が可能…
それ故か、江府町では知名度№1の城であるひらめき電球

日野郡江府町の城


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