標高339m・比高260mの高小屋城、絹屋の高小屋(南部町絹屋)
伯耆志に「村の東の山の名なり、出雲富田城の砦なりといえり。空湟、馬埒の跡あり」といっている。この高小屋は今、鷹見小屋と呼んで山の名で眺望のいい高山。この事については「天万固屋合戦」の項参照。
(※西伯町誌より)
天万固屋より縦走…
まず、土橋状の尾根が現れる
土橋を渡りきった先に北十三郭
土橋を渡る敵を迎撃する為の曲輪だろうか?
そこからは崩れ易い土質の斜面が延々と続き、遺構らしきものは何も見られない…
かなり登ると、帯曲輪状の北十二郭~北六郭が連なる
緩傾斜で長く続く北五郭
山頂付近の北四郭~北二郭
薮に覆われた主郭
主郭東下の東二郭
東二郭の北下の東三郭
さらに北下の東四郭
さらに北下、北五郭の東下の東五郭
絹屋の高小屋遠望
実地踏査を元に作成した概略図
軌跡ログ
旧西伯郡西伯町の城