標高130m・比高110mの善棚山城(南部町寺内)は、北約1kmに法勝寺川・出雲街道を望む低丘陵上に位置する
赤猪岩神社後方の丸い山、標高130m、字名新持山、別に宍道山とも神談山ともいわれる。室町時代の末、宍道玄蕃が此処に籠もっていたと伝えられるが記録はない。砦の跡と思われる多少の人工を加えた形跡がみられ、要害山の城の前線基地としての物見台くらいであったのではなかろうか。四方の眺望はよく要害山から死角をなす個所を見張ったものと察せられる。
尼子経久が伯耆の諸城を席巻した、いわゆる「大永の五月崩れ」の煽りを喰って崩れ去ったと思われる。
膳棚山とそれに隣する向山は古墳が十六基も見られるが多くは盗掘され、惜しまれる。
膳棚山下の小径は通称「清水川越し」といわれ、法勝寺、母里方面に通じる主要道路であった。
(※会見町誌より)
赤猪岩神社
神社の背後より直登するも、かなり激しい薮…
薮を突き抜け、東曲輪群北西九郭
その下の東曲輪群北西十郭~十二郭
北西十三郭から伸びる土橋
東曲輪群北西十四郭~北西十七郭
戻って東曲輪群北西八郭~北西六郭
東曲輪群北五郭~北二郭
東曲輪群主郭
東曲輪群南二郭~南五郭
東曲輪群と西曲輪群の間には帯曲輪群
西曲輪群南東三郭と南東二郭
西曲輪群主郭
西曲輪群北西二郭~北西四郭
西曲輪群西二郭~西六郭
善棚山城遠望
軌跡ログ
旧西伯郡会見町の城