標高710m・比高424mの隠谷城(智頭町大呂)
「私どもの先祖は大呂少監と申し、生国は奥州にあって、古くは相馬正門(平将門)公に味方したところ、誅伐され、少監身の寄せる所なく、御国へ逃れ、当所に来たり、追い追い野原を切り開き、農業をつかまつり、その折、家来の者ども本国より連れ来たりて、隠れ住みました。以前は近辺には村々とても無く、何事もなく苗字を伝え、大呂村といい、今も字に隠れ谷と申します。」
(※智頭町誌より)
「宇市井谷(一位谷か)の険阻なる山頂に二段の平坦地あり、古来伝えて祖先の城址と云う。附近字刀蔵に祖先の墳墓あり、五輪塔大呂将監の墳なりと云う。或は将監ならで城主の墓か、字馬場が平は往昔の馬場の跡なりという。刀蔵は即ち武器庫ならんか。」
(※八頭郡誌28章山形村「大呂家之伝」より)
この城へは出雲の源行近と共に雨の中、挑んだ
変電所付近には、五輪塔群が…
民家の裏手辺りから適当に直登I
嶮しい斜面を登って行くと、南側の曲輪へ到達
ここを登ったら主郭…
…主郭…
Σ(°□°;)
何と道が作られ、主郭は消滅している
こんな標高の高い所に、何故…
北西の曲輪は破壊を免れていた…
道を北へ行ってみると、何だかよく分からないものが造成されていた…
そして心が折れた源行近は
「登って来た斜面を下りたくない」
と言うので、山頂から続く道を辿り、山の反対へ下山…
降り頻る雨に打たれながら、山裾を歩いて車に戻った…
隠谷城遠望
軌跡ログ
八頭郡智頭町の城
Android携帯からの投稿