標高400m・比高100mの長砂城(若桜町長砂)
長砂伊賀守・同与五郎父子二代此城にあり。是は毛利豊元の被官にして本姓は中原氏なり、武功の者なりし由なるが、豊元落去の後は与五郎も当城を開き徳丸に蟄居し子孫は農人となり今は彼村に相続せり。
与五郎の墓は当村大日堂の後にある大五輪なり、寛政元年百五十年の正忌に当れりとして下徳丸の百姓平兵衛これを追福せり、然れば寛永十七年の頃まで長寿を保ちけると見えたり、伊賀守古墳は当村と不香田との間の道の側に二方三間許り石垣を築て其上に五輪一基を安置す。
(※若桜町誌より)
この話だと、私都城(市場城)の毛利豊元は若桜町にまで勢力を持っていたようだ…
まずは大日堂へ行ってみる…
苔むした石垣が良い雰囲気
すでに廃寺となり、建物は残っていない
背後の山中に長砂与五郎の墓と云われる五輪塔
谷を越えて東へ…
山中へ踏み込むと、階段状の帯曲輪群…
植林され改変を受けているのか…
何段もの帯曲輪が連なる…
主郭と思われる、最も広い曲輪
その周囲にも階段状に帯曲輪群…
長砂城遠望
実地踏査を元にした概略図
軌跡ログ
八頭郡若桜町の城
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