標高205m・比高70mの群佐羅山城(鳥取市佐治町刈地)
刈地群佐羅大明神鎮座の奥にあり。本丸二・三の丸曲輪乾堀等の跡餘程の構なりと、佐治氏代々の居城の跡と伝えり。元祖を佐治四郎と称す。本姓は尾張氏当時此郷を領知せるを以て其を呼んで氏となす。近村加勢木の百姓佐治氏代々地頭職の譲状を所持せる由民談記に見えたり。文状知れず所有年号正和(1312)より応永(1428)に至る其間百五六十年なり。其前後如何程相続せしにや一族の名も数多く見えたり。太平記神南合戦に山名時氏軍勢の内佐治但馬守と伝えるは当家の主人なりと云う。数代の名家なるに委しき事績も伝わらず。元祖四郎の墓とて村の人に小高き森の中に一丘あり方三間許りの石垣高さ四尺餘其上に宝筺印塔を安んず。其外小さき五輪の碑数多あり。祭祀して切明大明神と号す。此郷の開祖なるを以て切明の神と崇むるにや。(因幡誌)
(※佐治村誌より)
佐治四郎の墓と云われる宝筺印塔は、説明看板もあり、周囲は公園のように整備されていた…
丘陵を南に回り込み、南西にある運動場の駐車場にを置き、途中で見かけた山中へ向かう山道に踏み込む…
かなり薮が生茂っている中を進むと、廃棄された小屋が…
その後ろを直登
南曲輪群に到達する
南曲輪群の主郭
北へ向かうと、細長い主郭…
なかなかの薮だ
さらに北へ進むと、激しい薮の中に曲輪群…
それなりに広さはあるが、土塁や堀切などは見かけられず、曲輪群のみが展開する…
丘陵北東へ下る尾根にも、飛び飛びで曲輪が点在する…
戻って、主郭の西尾根にも二段の曲輪
群佐羅山城遠望
軌跡ログ
旧八頭郡佐治村の城
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