標高339m・比高230mの殿城(八頭町殿)
城の説明は町誌には見られないが、住所「殿」についての記載が見られた…
このような地名の由来は、中世大江郷の領主・伊田下野守(1234~1581)の価値油屋敷のあった事によるという(因幡誌)。地内中央を通る道は当時の堀の跡と云われ、字上馬場には土塁跡が残り、馬術訓練の様が察せられる。また、小字に見られる多くの土居のつく地名や鷹匠、上馬場、下馬場など、土豪武士在所に因むと考えられるものが多い。
また承久年間(1219~1222)に宇佐八幡宮を勧請して祀った殿村神社の存在や、現在は地名に「かしま」(字大工谷山と字入道谷山の扇状地)の地名として残っている鹿島神社のあった事など、武をもって地域社会の治安維持にあたった地頭のいた事に関係するものが多い。
(※船岡町誌より)
かなり山奥だが、幸い付近に林道がある…
林道から激しい薮を切り開き直登
薮が疎らになってきた頃、堀切が
堀切の西側には帯曲輪
這い登り北曲輪群の主郭
南西にも一段の曲輪…
そして南に堀切
そこから尾根を南へ行くと、南曲輪群…
南曲輪群主郭
その南に二段、東へ一段の曲輪が…
殿城遠望
軌跡ログ
旧八頭郡船岡町の城
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