標高109m・比高100mの二ツ山城(鳥取市福部町湯山)は、鳥取砂丘のすぐ側に存在する…
羽柴秀吉公鳥取城を攻めらるる事…当国の住人篠辺周防という者は巨濃二つ山の城主たりしが秀吉公へ味方に参り、懇意を蒙り此度の城攻めに真先掛て進みけるが、無惨や鉄砲に中り惣ち討死を遂げにける。
(※因幡民談記より)
二ツ山城は浜湯山の後浜濱の小松山なり。天正年中(1573~1580)篠部周防守と言える国侍此の山に在城し秀吉公鳥取城攻の時幕下に属し先懸けし鉄砲にあたりて死しけるとぞ。周防守一代の城跡なるにや、委しきこと伝わらず。
(※因幡誌より)
篠辺周防守、もしくは篠部周防守が城主だったようだが、因幡山名氏との関係などは不明…
羽柴秀吉公鳥取城を攻めらるる事…当国の住人篠辺周防という者は巨濃二つ山の城主たりしが秀吉公へ味方に参り、懇意を蒙り此度の城攻めに真先掛て進みけるが、無惨や鉄砲に中り惣ち討死を遂げにける。
(※因幡民談記より)
二ツ山城は浜湯山の後浜濱の小松山なり。天正年中(1573~1580)篠部周防守と言える国侍此の山に在城し秀吉公鳥取城攻の時幕下に属し先懸けし鉄砲にあたりて死しけるとぞ。周防守一代の城跡なるにや、委しきこと伝わらず。
(※因幡誌より)
篠辺周防守、もしくは篠部周防守が城主だったようだが、因幡山名氏との関係などは不明…