馬佐良要害(南部町馬佐良)は、西伯町誌には記載が無く、会見町誌に「曲輪二段、堀切その他不明」とだけ書かれており、片山氏の城と伝わる…
また、西伯町会見町合併協議会の中で、この変わった地名について「馬左良、馬皿とも書く。仏教を守護する跋折羅大将に関係しているのではないか。」とある
会見町誌に位置の記載があったので、山麓の馬佐良集落から直登した
登るとすぐに林業の作業道があり、進むと、脇に変わった地形…踏み込むと、堀切
堀切の上の南西曲輪群南二郭
南西曲輪群主郭
南西曲輪群北二郭
この場所に見られるのは、この三段の曲輪と堀切のみ…山頂を目指し登る…
馬場のような長く伸びる削平地
山頂
かなり薮に埋もれた山道を通って下山して行くと、南東の麓に近い場所に四段の曲輪と思われる削平地
馬佐良要害遠望
麓の新守神社
「馬佐良の申し上げ」
実地踏査を元に作成した概略図
軌跡ログ
旧西伯郡西伯町の城