旧郡家町の宝筺印塔及び五輪塔 | 山城攻略日記

山城攻略日記

北海道から沖縄まで、日本全国の有名所の城を旅し…
現在は地元・鳥取を中心とした城巡りの日々(^-^)/

花原城の後、福地の大樹寺の宝筺印塔を見に行ってみたニコニコ

この宝筺印塔(石英安山岩)は九輪の上部の宝珠を欠くものの、ほぼ完形の塔で、小ぶりながら非常に均整のとれた美しく石塔で、県下では最古級の鎌倉末期の作と言われる。
現在の塔高1.14、笠の四隅の隅飾りはやや外側に反り、塔身は四面に金剛界の四方仏の梵字が月輪の中に強く薬研彫りで刻出されている。下段の格狭間は一間(関西式)で花頭曲線が刻出してある。
(※現地説明文より)


そして、次は福地集落の西にあるという、私部城主の毛利豊元の墓と伝わる宝筺印塔を探し…
パッと見た目には、宝筺印塔らしきものは見当たらない…!?
公民館の辺りに何人かの地元の人が居たので、訪ねてみると、その中の2人が、それらしき所へ案内して下さるとの事で、後をついて行く…
集落の西ではなく、東に、宝筺印塔!!

その近くには五輪塔群が…

由来が不明との事で、携帯にて知っていそうな人に連絡をしてもらうと…
かつて「薬師さん」という寺(?)があり、そこが鳥取市内へ移転する際に、此処に移転したものらしいが、誰かの墓なのか、何かを祀っていたものなのかは不明との事…

さらに毛利豊元の墓と伝わる宝筺印塔があったはずの場所付近の方を呼び出していただいたあせる
その方によると、さらに別の人の方が付近だと言う事で、そのお宅付近へ…
さらに、たまたま近くの畑で農作業をしていた古老も加わる(笑)
何だか俺も含めて人数が6人にまで増えている…

皆様からの総論では、昔(相当な昔のようだ)、その辺りに水車小屋があり、その後ろには確かに宝筺印塔があったらしい…
しかし、2~3年前に山の土砂崩れ防止の工事があり、その時に地主の方が「下手に動かして祟りがあったら嫌だから」との事で、工事業者に宝筺印塔を移転させたとの事汗
毛利豊元の墓と伝わる宝筺印塔よ…
一体、何処へ移転されたのか…!?
下手したら、業者によって遺棄されてしまったのか…
いずれ、八頭町の教育委員会に尋ねてみねばなるまい汗
宝筺印塔探しに御協力して下さった福地集落の皆様、有難うございましたm(_ _)m

その後、小むじなさんよりアドバイスをいただき(※コメント参照)調べ直した結果、どうやら最初に案内していただいた宝筺印塔が、毛利豊元の墓だったようであせる

その後、「落岩の大五輪」と言われる五輪塔へ…

大五輪の手前にも、五輪塔が沢山…

この五輪塔は、全高1.86mで室町時代初期の堂々たる大五輪塔である。多年の風雨のため多少欠損しているが、縦・横ともに43cm、高さ40cmの頑丈な礎石(地輪)の上に大きな壺形の丸石(水輪)を載せている。その上に厚さ18cm、下部の一辺が30cmの四角な笠(火輪)が置かれ、屋根流れおよび降り棟はやや急勾配になっており、特に下部は弾力的な反りを作り、先端は少し尖っている。笠の下の半月(風輪)は高さ20cm、幅30cmの円筒形、その上の宝珠形の丸石(空輪)は高さ20cm、横30cmで極めて温和な丸みをもっている。この空・風輪の二輪は一石で造られている。
五輪塔は密教において創造された石塔で、元来は堂の落成とか仏像開眼時の供養のため建てられていたが、鎌倉時代以後は死者の供養とか墓石として使われるようになった。この落岩の五輪塔は、落岩城縁の武士で、地元の勝原家一統の祖先の墓標という伝承がある。
(※現地説明文より)


そして、通りすがりに、大坪にも五輪塔群が…
こちらは由来不明…



旧八頭郡郡家町の城