標高119m・比高110mの一ノ上城(岩美町牧谷)は、調査報告書には一ノ山城の名で記載されている…誤記か…
牧谷部落の前、吉田川の真上に当る険山が城跡である。山頂の平地はそれ程広くはないが、傾斜が強く側面から見ると刀の刃先のように鋭い形をしている。城の構えは小さいが小田浦富方面より陸上但馬に抜ける要地に当たっている。築城ははっきりしないが永禄末年頃、一ノ上弾正という地侍が在城、此の辺りを領有していた事は次の話によっても明らかである。
去る年のこと牧谷の数人の人が高野山に詣った時、偶然にも城主一ノ上弾正の位牌を拝したと云う。その時、高野山の僧が「弾正は秀吉来攻、落城後、但馬に逃れ再挙をはかる内、当地に流れ来て死去、当山に位牌が安置してある云々」と語ったが、牧谷の人々は字が読めず、法名去年月日など不明との事である。今も里諺に残る濱田千軒はこの城の全盛時代の城下町の名残りで、城の構内に駒ヶ谷、鷹匠屋敷跡の鷹居などの地名が残っている。
(※岩美町郷土文化研究第九集より)
因伯古城跡図志には「牧谷村古城」として記載されている
南西麓の弥長神社
帯曲輪状の南三郭
同じく帯曲輪状の南二郭
激しい薮に覆われた主郭
東二郭
北二郭
北側には、合計九ヶ所の曲輪が確認出来た
西二郭
西には合計十一ヶ所もの曲輪が展開している
さらに北西にも曲輪群が存在していた
写真が増え過ぎるので、曲輪群の写真は載せないが、北西には竪堀も
一ノ上城遠望
軌跡ログ
岩美郡岩美町の城