八木城 旧養父郡八鹿町 | 山城攻略日記

山城攻略日記

北海道から沖縄まで、日本全国の有名所の城を旅し…
現在は地元・鳥取を中心とした城巡りの日々(^-^)/

八木城(養父市八鹿町八木)富士山

11世紀半ば、源義家の重臣、閉伊四郎頼国が八木に土城を造り、館を構え、以後約130年間勢力を誇っていたが、建久五年(1194)から正治二年(1200)頃、日下部氏を祖とする朝倉高清が頼国の後裔・閉伊十郎行光を攻め滅ぼし、土城の東部の峯に新たに城を構築し、三男の重清を城主に置き、地名をとって「八木」を名乗らせたのが八木城の起こりであると云われる。
以来八木氏は約400年近い歳月に渡りこの地に君臨、南北朝期には権勢を振るった山名氏に従い「山名四天王」とも呼ばれた。天正八年(1580)、十五代豊信の時に、羽柴秀吉の第二次但馬攻略にあい降伏、落城。天正十三年(1585)の国替えで八木城には別所孫右衛門重棟が入城。その子吉治が慶長六年(1601)に丹後北由良城に移封、八木城は廃城となった。
八木豊信は秀吉に従い、鳥取城攻めなどに参加、若桜鬼ヶ城を守備した。
(※八木城パンフレットより)

麓から整備された山道を登って行く走る人
途中途中に曲輪なのか、削平地が多々見られるひらめき電球

「秋葉さん」の祀られた東十二郭メラメラ

ここから主郭へ向け、曲輪が階段状に連なっているひらめき電球








主郭の石垣アップ


上下二段に分かれ、奥には櫓台のある主郭ニコニコ

南尾根にも八郭までの曲輪が連なるひらめき電球




北東にも数段の帯曲輪がひらめき電球


北西にも曲輪が二段ひらめき電球


そして、さらに北西へと続く尾根を断ち切る堀切合格

登山口から間もない古墓が並ぶ辺りには、巨大な竪堀のような地形が見られた…


八木城遠望カメラ

軌跡ログあし



旧養父郡八鹿町の城