槻下豪族館 旧東伯郡東伯町 | 山城攻略日記

山城攻略日記

北海道から沖縄まで、日本全国の有名所の城を旅し…
現在は地元・鳥取を中心とした城巡りの日々(^-^)/

槻下は古代、中世と八橋郡の中心となったところであり、交通の要点にもなっていた。ここ槻下部落の東側台地に、堀をめぐらした約50メートルに30メートル、約50メートルに40メートルと並ぶ一段高い二つの敷地が残っている。西側の大きい方の敷地には、周囲に高さ約2メートルの土塁がある。ここは今でも大堀(おおぼれ)と呼ばれているが、近くには陣馬野お呼ばれて、その当時主従とも常に武芸の訓練に励んだであろう馬場の跡もある。この頃の農民は「いざ鎌倉」という時には武器を取って領主のために戦う場合もあった。そういう点が後の江戸時代頃の農民と違う点であった。
この館跡には、伯耆民談記に「岩野弾正坊居す」と伝え、また安永年間に書かれた槻下神社由来記にも岩野弾正坊という者の居城であったと記述されている。しかし彼の事績については何も記してない。今のところ岩野弾正坊の事について何も知る事の出来ないのは残念である。遺跡から見て当時の地頭の館であった事は間違いない。その意味ではほとんどこの時代・この地方の豪士の様子についての記録の、ない折から、この遺跡は極めて重要な史料である。
(※東伯町誌より)

主郭の東側の空堀


主郭の南側の空堀


主郭

主郭を囲む土塁


主郭の北虎口

馬出のような形状の北二郭

北二郭の土塁


土塁に沿った空堀

外曲輪とでも言うべき北三郭

東二郭

東二郭を囲む空堀


槻下豪族館遠望



東伯郡琴浦町の城