長慶谷を挟んで南が外構城跡、北側が城の段といわれる館跡、外構城跡はかつて進氏の居城といわれる。最上段に俗に「城八幡」という八幡社跡の石垣が残っている。それから一段下がって平地、この平地からまた、一段下、東南面に山を半円形に削平している。ここに深い井戸跡がある。以前は投石してしばらく後に水音を聞いた程深かったという。この城跡も、野上城跡同様北西の長慶谷の尾根を掘削して周囲が切り立ったような険しい孤山、北の城の段は台上が広い平地になり、長慶谷の一翼となる。東に開けた背後の長慶谷、昔お立山もあった。谷尻が両翼のように二つが向き合い、そして裾に「公卿さん墓」といわれる塚もある。長慶谷、公卿さん墓、進の、何か南朝に関わりがあるかも知れない。総ては霧の中である
(※文化財ガイドブックふるさと溝口より)
南麓から登ってすぐに、古墓が散らばった南八郭
その東には南堅堀
南八郭の北上の南六郭
緩く傾斜しているが、広い
南六郭から北西に下りた南七郭
南七郭には井戸か溜池のような窪みが
南七郭の北西上の南五郭
そこには防空壕のような穴が…
かなりの広さの南四郭
同じく、かなり広い南三郭
南二郭
主郭
主郭から尾根続きとなる北は、尾根が土橋状に削られていた
南東五郭
南東五郭下の東堅堀
南東六郭
南東七郭
南東八郭
南東九郭
城の段遠望
実地踏査を元に作成した概略図
軌跡ログ
居館としての広さと、山城のような縄張りを併せ持った館跡
旧日野郡溝口町の城