中山城(豊岡市但東町中山字城山)
中山城は太田川右岸、如布集落北側、標高約145mの丘陵に所在し、太田川と板野川の合流点に位置する。城域は東西約70m・南北約40mを測る。集落との比高は約40mと低い。
城主は堀直政であり、中山城の東山麓に館跡を残しているという。堀直政は夢窓疎石の高弟普明国師を招いて、中山の蔵雲寺を建立したと伝えられ、堀家(のち渋谷家)代々の位牌は現在も蔵雲寺に安置されている(『但馬の城』『兵庫県の中世城館・荘園遺跡』)。また天文年中(1532~1555)の頃、堀家は蔵雲寺の本尊釈迦文殊普賢等を寄進している(「渋谷伊右衛門古文書」文政元年)。
(※豊岡市の城郭集成Ⅱより)
南東四郭(曲輪10)
その東には堀切
西へ登ると、南堀切
南堀切外の土塁
南堀切の南には城山古墳群
南二郭(曲輪8)
北には土塁が見られる
南二郭の東下の東三郭
主郭の南虎口
中央が一段高くなっている主郭
東二郭(曲輪5)
西二郭
西二郭から北へ下りると北西三郭(曲輪3)
北西三郭の北西下に北西四郭
北二郭の西下の北北西三郭(曲輪4)
北二郭
北二郭の北土塁
北堀切
北出丸上段
東へ二段、薮に覆われた削平地が見える
頂部に鎮座する稲荷社
中山城遠望
軌跡ログ
旧出石郡但東町の城