岩内城(豊岡市竹野町椒字中村小字岩内)
「岩内城」は小字から命名したもので、特に城跡としての呼称は伝承していない。城主・城史とも不明。
椒村には平安時代から石清水八幡宮の末社「椒別宮」(現㯮椒神社)があり、弘安八年(1285)の但馬国太田文には「八幡宮領 椒別宮 八丁三反 下司石禾九郎能実御家人」と記されている(帝釈寺文書)。下司石禾氏は養父郡石禾郷を本貫とする在地領主と思われるが、この時、椒別宮(八幡宮の荘園)の荘官となっていたのであろう。南北朝~戦国期については、史料的に明らかではない。
この城の築城時期を決める遺構は乏しいが、小曲輪や堅堀の存在から、南北朝期に築城起源を有し、戦国期まで存続したものと思われる。
北麓の八坂神社
東二郭
南東三郭
東南東三郭
㯮椒神社の鎮座する主郭
主郭の北土塁
主郭のり高い土塁・櫓台状の北西二郭(曲輪2)
溜池のような窪地のある西三郭(曲輪3)
西四郭
西堀切
西堀切からの北堅堀
西堀切の南底と繋がる南西五郭(曲輪4)
西五郭の東土塁
西五郭(曲輪5)
緩傾斜の西六郭
岩内城遠望
軌跡ログ
旧城崎郡竹野町の城