加保城(養父市大屋町加保字杉谷・篭谷)
加保城さ大家川左岸、加保集落の西側の尾根突端、標高197.7mに所在する。集落との比高は約55m。城域は東西約60m・南北約150mある。
加保城主は栃尾源左衛門(祐善・善次)。源左衛門は居相孫作らと共に、天正八~九年(1580~1581)、藤堂高虎の「小代一揆」平定を支援し、「蔵垣野」や「横行」などで「小代一揆」と戦っている(『高山公實録』)。
藤堂高虎が「小代一揆」平定のために拠った城は、この城であろう。なお栃尾氏はもともと夏梅の蓮華寺付近に館を構えた武将で、そこを現在でも栃尾谷と呼んでいる。
(※図説養父市城郭事典より)
東八郭(曲輪8)
東七郭(曲輪7)
東六郭(曲輪6)
東五郭(曲輪5)
東五郭から北へ延びる帯曲輪
北堅堀イ
東五郭から南へ延びる帯曲輪
東四郭(曲輪4)
東四郭から南へ延びる帯曲輪
東三郭(曲輪3)
東二郭(曲輪2)
破壊され改変された主郭
なお、この主郭の南にあるはずの小さな堅堀と、南堅堀アは薮に埋もれているのか、発見出来なかった…
加保城遠望
軌跡ログ
旧養父郡大屋町の城