大島城(相生市大島町・那波大島町・那波大浜町)
別名:大嶋山城・那波城
この大島城は、長治元年(204)播磨海老名の祖、家季がここに城郭を築いたのが始まりと云われています。城主海老名氏は代々矢野荘別名の下司職、矢野荘例名の地頭職等に任じられた豪族です。建武三年(1336)別名の下司職であった七代景知は赤松円心に属し、弟の詮季や同族の泰知と共に白旗城に立て籠って、新田義貞と戦い功績をあげましたが、留守にしていた大島城は新田軍に与した者によって焼き落とされたと云われています。また江戸時代中期の文書によると「大島城は那波城とも言う。丘ノ台は二の丸で矢倉跡、今は畠となる」とあって、この城の規模を知る手がかりとなります。
(※現地説明看板より)