那波山城(相生市池之内・汐見台・上の山)
別名:上の山城
伝承によると承安三年(1173)平経盛がここに城を築いたという。その頃は平氏の全盛時代で、清盛が兵庫に港を築くとともに播磨一円をその支配下に治めていた。したがって経盛がここに居城を構えていたとして不思議ではない。この城は寿永二年(1183)源義経の軍に攻められて落城し、経盛は佐方に逃げたが、佐方の雨乞山の戦に敗れて自刃したとされている。又一説には数名の部下と共に北の方上郡町小野豆に逃れて隠れていたところを源氏の追手に発見されて自刃したとも云われている。しかし真実はこれと違っていて、経盛は一の谷の合戦に敗れて屋島に逃げたが、壇之浦の戦いで一門と共に死んだ事になっている。
(※兵庫県中世城館・荘園遺跡より)
那波山城碑