若狭野陣屋(相生市若狭野町若狭野)
別名:浅野陣屋
寛文十一年(1671)、赤穂藩主浅野長直の養子浅野長恒が分家したことにはじまり、長恒は江戸幕府直参の旗本となり、若狭野に陣屋を構え、若狭野十二ヶ村三千石の知行が認められました。これが若狭野陣屋の始まりです。陣屋は三千石の旗本宅としては豪荘で1600平方メートルの敷地内に本宅(六室)内庭のほか、門・倉庫・馬屋・武器庫などがありました。現在、札座(藩札をつくったところ)の建物であった法界庵と、那波野西法寺に移築された陣屋跡が残っています。
(※現地説明看板より)
若狭野町西武史跡等案内板