高田城 赤穂郡上郡町 | 山城攻略日記

山城攻略日記

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現在は地元・鳥取を中心とした城巡りの日々(^-^)/

高田城(赤穂郡上郡町奥)

別名:抜石山城・西条山城・西城山城・新寺山城


城主は一般に高田兵庫介で、元弘三年(1333)赤松円心によって攻撃され落城した、と云われている。『赤松新古籏下集士録』によると「高田兵庫介 宇野範重三台目爲助嫡。有縁北條、故元弘之時出陣遅刻、円心大憤。後聞与於北條疎之」とある。すなわち高田兵庫介は赤松の一族であるとともに北条氏とも縁故関係があり、主家円心の北条氏討伐の旗上に際しその参加を躊躇したことがわかる。『赤松氏の史料と研究』には範重(『赤松新古籏下集士録』)と頼重(『高田系譜』)と2人の高田兵庫介が出てくる。現地に保管されている『了宅庵之記』によると「元弘の乱に、赤松円心、護良親王の令旨を得て上洛の際、西城山を囲むこと不意に起こり、六万本の炬火を点じて南方より迫り、奥部落右近谷、深谷に伏兵を設けて恰も城南に迫ると見せ、其実主兵を鞍居村の背後より進撃せしめたる為(中略)遂に城陥り、主将高田兵庫之輔頼重了宅庵にて自刃す。時に正慶ニ癸酉年なり」とある。

(※兵庫県中世城館・荘園遺跡より)

帯曲輪状の南西十五郭
帯曲輪状の南西十四郭
南西十三郭
図に無い南西十ニ郭
南西十一郭
南西堀切
南西十郭東帯曲輪
南西十郭
南西竪堀
南西九郭
南西六郭
南西七郭
小規模な西八郭
小規模な西九郭
西九郭からの西八郭南帯曲輪
南西大堀切
南西七郭北帯曲輪
南西大堀切に架かる土橋
南西五郭西帯曲輪
井戸曲輪
南西五郭
南西四郭
南西三郭南東腰曲輪
南東四郭
図に無い南東五郭
図に無い南東六郭
図に無い南東七郭
南西三郭
主郭と南西ニ郭間の南東帯曲輪
図に無い南東竪堀
主郭と南西ニ郭間の北西帯曲輪
南西ニ郭
主郭
北東堀切からの北西竪堀
北東堀切からの南東竪堀
改変された北東ニ郭

高田城遠望
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