人間は孤独な生き物である。


だが人間は孤独を嫌う。


孤独でいることに耐えられないのだ。


バレンタインやクリスマスが近づくと特にそう思うようである。


「冬になると人肌恋しくなる」というのはあながち間違いではないらしい。


だから人は急いで恋人をつくる。


その中でワムのように12月26日にフラれた経験のある人は何人いるのだろうか。


無理に誰かといようとすると余計孤独になるようである。


だとしたら孤独であるという事実を受け入れて楽しんでしまったほうが早い。


ではどう楽しんだらいいか。


私が思うに、この世で一番孤独を楽しんでいるのは井之頭五郎である。


『孤独のグルメ』というタイトルだけでも。


井之頭五郎を見ていて思うのは、孤独でなければ井之頭五郎という人間も、隠れた名店も世に出ることはなかったということである。


そして本当は誰しも量は違えど孤独を心のどこかで望んでいるのではないだろうか。


嫌味たらしい上司との飲み会の席や、自慢話のオンパレードのコンパなどでは特に。


『孤独のグルメ』が売れる理由は、ただ単にグルメ本であるということだけではないらしい。


孤独だからこそじっくり味わえる美味しさや店の雰囲気、誰に何を言われることもない食べ合わせや食べるスピード。


それらを最大限楽しむためには、やはり孤独という条件が最低限必要なのである。


だから孤独=かわいそうという考え方には終止符を打たなければいけない。


特に学校という小さな社会の中では。


学年、クラス、班という小さな社会で悠々と孤独を保ち続けるのは容易いことではない。


なぜならそれはいつも簡単にいじめの対象となるから。


いじめる側は自分もまた孤独であるということを知らないか、知っていても受け入れようとしない。


性別に関係なく、悪口というのは人と人とを簡単に結びつけることができるから、誰かの悪口を言えばいじめる側は孤独にならなくて済むのである。


いじめられる側にとってはたまったものではないが。


そしてだんだん大人になり、”量より質”で友達を選ぶようになるとやっと孤独が自由だということを知る人が増えてくる。


そのとき初めて孤独という状態を誇りに思える人もいるだろう。


そして孤独を受け入れられれば、誰といたら本当に自分が幸せなのか分かる。


”独りになりたくない”という欲を捨て客観的に自分を見れるようになるからだ。


無理に付き合わなければいけない友達や恋人など必要ない。


だが孤独を楽しむには多少なりとも訓練が要る。


とても自由である反面、どう楽しんでいいのか分からないという人も多い。


そんな人はブログや日記を始めてみるといい。


ブログというのは一人きりで自分だけの思いを書き連ねるものであり、Twitterよりも長文で載せなければならない。


そこでまずは自分が何を思っていて、どんな人間なのかを把握するところから始め、徐々に読書や映画、カフェなどに一人デビューの幅を広げていくといい。


無理に孤独になる必要はないが、誰かといるのが疲れるときもあるだろう。


そんなときにぜひ実践してみてほしい。


そうすればクリスマスキャロルが流れる頃には、どういう答えを出すのがいいのか。


安奈が手紙を書いている頃、クリスマスキャンドルの火は灯っているのかどうかが分かる。


たとえ一人きりのクリスマスイブでも、サイレントナイト・ホーリーナイトは楽しめるものだ。


今私の目の前でいちゃついているカップルがワム状態にならないのを願うばかりである。






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