ジェームス・ディーンの名前を思い出そうとするとビリー・シーンがよぎる。


ビリー・シーンがよぎるとマイケル・ジャクソンのBillie Jeanを歌いたくなる。


We are the Worldを歌うと毎回サビでHear N' AidのStarsに切り替わる。


※Hear N' AidのStarsとは…

メタル界の大御所が集まって作ったWe are the Worldっぽい曲


結局スッとジェームス・ディーンの名前を思い出せないまま、気付けばもう師走。


エデンの南にすら辿り着けず2016年も終わるのか。


東がどっちか分からなければ追放されることもないのでいいと思うが。



そんなことを思いながら、ここ最近シド・ヴィシャスとジョニー・ロットンの違いについて考えていた。


どちらもパンク界のカリスマだが、シドは本物のキチガイだ。


一方ジョニーは、ジョン・ライドンがジョニー・ロットンを"演じている"節がある。


それが自身の意思なのかマルコムの演出なのか(その両方か)は分からないが。


ではどちらのほうが"スゴイ"のか。


理性の存在を無視し刹那的な生き方に不安もなく社会の常識を理解しようともしないパンキッシュな言動はシドにしかできない。


一方で大人の事情というものを理解しつつ、常識と理性の存在を認めた上でそれを受け入れきれないジレンマと闘う姿をパンクに反映できるのはジョニーの才能だ。


どちらも若者のカリスマとして一世を風靡したことは間違いない。


実際現代でも矢沢あいの描いたNANAと蓮は完全にシド&ナンシーだ。



ではここでその他のアーティストを二人のタイプに分類してみよう


シド派:ジョニー・キャッシュ、ジミ・ヘンドリクス、アクセル・ローズ、ミック・ジャガー、スティーヴン・タイラー、セバスチャン・バック、宮本浩次(エレファントカシマシ)


ジョニー派:ボブ・ディラン、エルヴィス・プレスリー、ポール・マッカートニー、マイケル・モンロー、スラッシュ、ロリー・ギャラガー、矢沢永吉


勿論スティーヴ・ジョーンズ派やポール・クック派もいるが、ここでは割愛する。


結局どちらが優れているかという問題ではなく、カリスマと呼ばれるか問題児と呼ばれるかは彼らのいる環境によるらしい。


特にシド派にとっては、自分自身が受け入れられる環境でしか通用しない。


シド&ナンシーが若干20年だが生きていけたのも、一般社会ではなく音楽業界という荒くれ者の集まる場所にマルコムが放り込んだからだ。


若い頃はシド&ナンシーに憧れるが、大人になるにつれジョニーの生き方に共感できるようになり、ピストルズを生み出したマルコム・マクラーレンにも興味を持ち出す。


またヴィヴィアン・ウエストウッドが常に落ち着きのないマルコムとどう過ごしたのかも。


それが私達現代人の考え方なのかもしれない。



1970年代のキングスロードには、多くのカリスマが集まっていた。


彼らならエデンの東にさえも喜んで行くだろう。


もしかしたら追放されたからキングスロードに降り立ったのかもしれない。


天国で流れるピンク・フロイドに聴き飽きたなら「Too fast to live, too young to die」と言いたくなるのもごもっともだ。










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