梅雨明け後、いきなりの猛暑にクラクラしているうちに、8月も半ば。

昨日の8月15日は、終戦記念日でしたね。

 

もう20年以上、お盆休みとは縁のない仕事をしてきているので、今年もいつもと変わりない日常を過ごしていたわけですが、ニュースなどで「終戦の日だな」と意識します。

 

今年は戦後75年。

私の父は昭和10年生まれ、私の母は昭和19年生まれの75歳なので、父は戦前生まれ母は戦中生まれになるのかな。

 

子どもの頃に、おぼろげな記憶だけど、父からも母からも、少しだけ戦争の話を聞いたことがあります。

 

父は東京出身で、疎開を経験しています。

食べるものがあまりなくて、みかんを皮ごと焼いて食べたという話とか、父の家は幸いにして大丈夫だったけれども、近くの知り合いの家は空襲で焼けてしまったということとか。

85になる今も未だに、図書館から借りてくる本は太平洋戦争に関するものばかり。

戦争の体験が父の心に何かしらの影響を与えたのだろうと思います。

 

母から聞いた話では、母が生まれてまもなかった頃、祖父は東京で仕事をしていて、その時に空襲に遭ったそうです。

一面火の海で、もうダメかと思った時に、生まれたばかりの娘(母)の顔を思い出して「ここで死ぬわけにはいかない」と思って必死に逃げたという話をよく聞きました。

火の粉がすごくて、顔中水膨れで、ハサミで切ってタオルでぐるぐる巻きにしたとか。

 

祖父は、当時の満州やシベリアにも行ったこともあるらしく、タイミングが悪かったら帰ってこれていなかったかもしれないことなども耳にしました。


 

子どもながらに、「自分の親や子供が戦争で亡くなるってよくわからないけど、もし自分に起きたら怖いな」「こんなに辛く悲しい体験をした人たちを沢山作った戦争って、一体誰のための何のためのものだったんだろう?」「戦争は絶対してはいけない」と強く思った記憶があります。

 

今はテレビをあまり見ないので、実際のところはよくわからないのですが、私の感覚で言うと、昔は夏休みのこの時期、原爆や戦争についてのアニメやドラマや特集が毎日のようにあって、子どもの頃には毎年毎年、何度も繰り返し見ていた気がするんですけれど、最近は少なくなっているように感じます。


今年は特にコロナのせいもあるのかもしれません。

平和を続けるために何をしたらいいのか、過去から学び、同じ失敗を繰り返さないということは大切なことと、あらためて思います。



戦争が起きる理由はよくわからないけど、間違った大義名分だったり、一部の人の独占欲とか利権とか、見えない敵への恐怖心だったり、おおよそ、幸せや愛情といったものとはかけはなれたものから起きるような気がします。


正義は時に、一方的で違う側面からみたら悪になる。

日常でもよくあることです。


私がもし戦場にいて、正義のために敵とみなされた誰かを殺さないといけないとした時に、その相手にもその人を産んだ母親がいて、家族がいて、その人を大切に思う人たちがいて、その人にも守るべきものがあることを思えば、何が正義なんだろうと思います。


たぶん、戦争に赴むかざるをえなかった人たちも、今も戦いの中にいる人たちも、本当に欲しいものは、自分や大切な人の幸せであり、平和や安心感だったはずだろうに。


正しいか間違ってるか、勝ちか負けかに囚われて、大事なものを見失うことの方がどれだけ悲しいことか。



昨日は保育園にいて、子どもたちの笑顔に触れ、抱きしめ、抱きつかれ、一緒にご飯を食べ、一緒に遊び、笑いあいました。

この子たちが大人になるころの未来が幸せに満ち溢れていて欲しいし、この笑顔を守りたい。


大好きな人、大切な人と一緒にいられること、目を見て話ができること、触れられること、たくさんご飯を食べられること、そんな普通の暮らしと静かな幸せがありがたいなとも思い。


愛も憎しみも、安心も恐れも心の中で生まれるものだから、周りのことに振り回されることなく、心穏やかにすごしていくために、心のしくみを学んでいくことは大切なことだと思うし、まずは自分や身近な周りの人たちを幸せにしたり、笑顔を増やせるようにしたりすることが、世の中の恐怖を減らし、争いを減らせるのに役に立つのかもしれないなと思っています。



まとまりのない話ですが、この平和な普通の暮らしを大切にしていきたいものです。



お盆頃になると、空の色になんとなく秋の気配を感じます。



(株)メンタルサポート研究所グループ

NPO こころサポート

公認心理師   横内慶子

HP こころの庭