カナダ留学への道のり〜20歳の時の自分 | 旦那は主夫、嫁は手相鑑定師。億ションに住まう

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手相・ホロスコープなどのスピリチュアルと社会・経済を融合して次世代の生き方を読みときます。
読むだけで、誰もがますます豊かなライフスタイルを実現し、個性と才能を生かした「活動」を通して輝いていくブログです。

自分の中に答えがある、そんなことを考えていて、過去の自分をもう一度見にいくことにしました。

今までずっと、無謀でもなんでもやってみたいことはやってきたこと。まず思い出したのは、20歳から21歳の時に行っていたカナダ留学でした。

留学したいなっておぼろげに思っていたり、はたまた留学してみたかったなという方、留学ってどんな感じなんだろうと興味がある方の心に何か残るような体験記になればうれしいです。少し長くなりますが綴ります。

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私が大学二年生、二十歳の時、三年次から始まるゼミの応募選考が始まりました。確か、第一希望と第二希望を出せました。私はこの時受けてた授業で特にマーケティングと経営学がお気に入りだったので、迷わずこの二つのゼミ志望で提出しました。

後日、志望したゼミが人気トップ3に入っていたことを知りました。定員超えで、選考となったんです。

二年生の成績表でSとAをもらっていた授業だったので、自信がありました。しかし、選考日に掲示板を見て愕然。


第一希望はおろか第二希望も落ちていたんです。


少し話を過去に遡ります。
私は、いわゆる"優等生"でした。高校入学後、全国模試では偏差値92、東大合格A判定。高校一年生の時は、東大A判定が当たり前、英語が得意だったので、志望大学は東京外語大学でした。この時は誰しも私が日本の超一流大学への進学を疑っていませんでした。

雲ゆきが怪しくなり始めたのは、高校二年生の夏休みに入った頃だったと思います。勉強大好きガリ勉の私が、人生に新しい楽しみを見つけてしまいました。それは男でした。当時お付き合いしてた男性だけでなく、男女含めたグループ交際など、遊び歩きました。否応無しに勉強は疎かになり、東京外語大どころか北大さえも合格が厳しいのでは?という状況になったとき、私は高校の指定校推薦枠で立教大学への合格を果たしました。小論文の審査はありましたが、筆記試験や面接もなし。今まで挫折しそうな時、不合格と判を押される前に回避してきたので、話を戻しますが、ゼミに落ちたときは初めての"立派な挫折"でした。

落ち込みました。3日ほど大学にも行かず引きこもっていた時、お母さんから電話があり一部始終を話したんです。

そしたら、

「もう一度思い出してみなさい!あなたは、大学に入ったら何がしたいって言ってたの?!」

私はハッとしました。

大学在学中に留学する。

これが私の夢でした。小学校のときから留学貯金をしていたぐらいです。

初めての都会暮らしに、自分の夢さえも忘れてすっかり浮かれていたんです。

留学への道のりは、お母さんの一言から始まりました。

「そうだ、留学したかったんだ。」

それから血まなこになって、留学方法を調べました。まずは大学に派遣留学先として提携している大学が海外に20校ぐらいあるのがわかりました。そして、ワーホリという形での留学もあるし、はたまた個人で語学学校などを手配して行く留学もある。留学エージェントも多くありましたが、当時は費用が高く、大学の学費と東京での一人暮らしの生活費を負担してもらっている親にこれ以上は頼れないと思い、手配は時間がかかっても自分でやろう。そして、休学はしたくない、留年もしたくなかったので、大学の単位をできるだけ取ってから留学し、四年間でみんなと一緒に卒業しようと決意しました。

留学すると決めてから、バイトをひとつ増やしました。そして、大学の返済の必要がない奨学金制度がないか調べました。専攻していた社会学部の奨学金で、私が留学先で学びたいことで申請できそうなものがありました。そして、面接を経て20万円の奨学金を受け取りました。返済は不要でした。その20万円を実際にどのように役立てかを1200字程度にまとめて提出する必要があっただけでした。大学には、公にはあまり告知されていないこういった奨学金制度があるものです。調べてみる価値があると思います。

それから、留学先で大学に通いたい場合に必要となるTOFELの点数を取るため勉強に励みました。留学すると決めてから、奨学金もおりて、バイトで貯金も順調にたまり、この時の私は夢に溢れていました。

けれど、その後8年ほど患うことになる"拒食症&過食症"の兆候がで始めたことに、この時は知る由もありませんでした



続きは明日また書きます。


読んでくださって、ありがとうございます