色彩心理セラピスト・きみです。


この前の連休は八女・星野村へキャンプに行ってきました。






今月に入って、
自分の内面にある望みやエゴに向かい合う出来事が多くて、
最近全然なかったのに、
仕事中に涙が溢れてしまうと言う体験をしました。


そんなタイミングで大自然を身近に感じるキャンプに出掛けることになったのです。






スマホ以外の通信ツールもテレビさえなく、同じキャンプ場にいる人達の声以外は鳥や虫の音しかない。


夜は花火と家族全員でしりとりして寝袋にくるまって、夜風をクーラー代わりに眠りました。


そんな1日を過ごしていると、
体の中から静かに活力が湧き上がってくるんですね。


心身の隅々までチャージされたのを感じ、
朝早くキャンプ場に隣接した神社へ参拝。





こちらは弁天様をお祀りしたお堂。



そのままキャンプ場の池の周囲をゆっくり散歩していました。





森の木々を見ていたら、
決して育ちやすいとは言えない場所に生えた木がたくさんあるのが目につきました。


急斜面に根付いているもの、

池の水面すれすれに枝を伸ばしているもの、

日当たりが良いとは言えない所で懸命に葉を繁らせているものなど。


それでも木々はただひたすらにその場所で生きていました。


「生きる」と言うただひとつの意思に従うように、

けれど自分が置かれた場所でどうすれば良いか知恵を絞って、

枝をくねらせたり、

根を広げたり地中深く潜らせたり。


今居る場所に不満をくすぶらせていたわたしと何て違うんだろうと思いました。


自然は自分が何のために生まれたのかそれを当たり前に知っていて、

その『天命』と言うべきものにどうすれば沿っていけるのか、

その為にどう在れば良いかを考えて自分を適応させていくんですね。


花を咲かせるべき時には咲かせ、

葉を繁らせて光を取り込むべきときはそうして、

葉を落として休むときはきちんと休む。


人間も本来は自然のサイクルで、
自分に備わった『天命』に沿って生きていく事ができるはずなのに、

生きていくなかで様々なフィルターが被さってしまって、

いつの間にか生きづらさを自分で作り上げてしまうんじゃないかな、なんて考えちゃいました。





「在りのまま」だからこそ自然も人も美しい。


けれど真っ直ぐに育たなくても、

何か曲がりくねって変な形で育っていても、

それで全てオッケーなんじゃないかな?



今のわたしはここでオッケーなんだよ。



読んで下さったみなさんに限り無い愛と光が降り注ぎますように。

有り難うございました。


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