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 大江山 いく野の道の 遠ければ

 まだふみも見ず  天の橋立


20151208 倭塾・動画配信サービス2

(母がいる丹後へは)大江山を越え、生野を越えて、長い道のりを行かねばなりません。
ですから私は、天の橋立がある丹後の地を踏んだことはありませんし、母からの手紙も見ていないのです。


***

作者の小式部内侍は、五十六番歌の和泉式部の娘です。
和泉式部の最初の夫、和泉守の橘道貞との間に生まれました。
天才歌人として名高い母の血を引く彼女は、若い頃から古今の歌や和学、管楽に通じ、歌人としても母親ゆずりの才能を発揮しています。

六十番歌の歌に込められたメッセージは、ちょっと深刻です。
というのも、この歌を詠んだ当時、小式部内侍は宮中でものすごい中傷を浴びていたからです。
どういうことをかというと、若い小式部内侍が、あまりにも見事な歌を詠むことから、「実は彼女の歌は、母の和泉式部が代作しているんだよ」
などという、妙な噂を立てられていたのです。


そんな中、宮中で大きな歌合が開かれることになりました。

ところが歌合への参加が決まったときのことでした。
彼氏の定頼がやって来て、「君は、母に代作を頼んでいるんだろ?歌合に出て大丈夫なのかい?」と聞いてきたのです。
これは小式部内侍からしたらショック死です。
自分のことを一番信じてくれていると思っていた彼から、「君のことを疑っているよ」といわれたようなものだからです。

「母に代作を頼んでいるんだろ?」と疑う定頼を引き止めると、小式部内侍は短冊に即興でサラサラと歌を書いて彼に渡しました。それがこの六十番歌です。


「大江山や生野への道のりは遠く、ましてその先にある天の橋立へは行ったことがありません。
母との文(手紙)のやりとりもしていないのですよ」と詠んでいるのは明らかです。

結局、小式部内侍は、そんな藤原定頼と別れてほかの男性と結婚しました。
けれど、出産後の肥立ちが悪くて、なんと二十代の若さで亡くなってしまいます。
それは、母の和泉式部に先立つ不孝でした。

生きるということは、現世において魂の訓練を受けているのだ、という人がいます。
人は皆、生まれながらにして八百万の神々の一員となるべくして生まれてきたというのです。
現世において、さまざまな葛藤や悩みを経験し、そうした苦労を乗り越えることで、一歩一歩、本当の神様に近づいていくというのが、古くからの日本の教えだそうです。
神々の御心は計り知れませんが、小式部内侍は、他人からの悪意ある攻撃に対してどう対処すべきかを、身を持って生まれてきたような気がします。
そして彼女は、その使命を果たし、短い人生を終えました。
彼女の肉体が現世に存在したのは、わずか二十数年ですが、彼女の精神は千年たった今なお人々の心に生きています。
彼女の残した歌は、どんなに辛いイジメや中傷に遭ったとしても、「まこと」を尽くして生きていくことの大切さを教えてくれているのです。





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