小野小町は、たくさんの歌を残していますが、なかでも有名なのが、『古今和歌集』に掲載され、「百人一首」にも選ばれている次の歌です。

 花の色は移りにけりないたづらに
 わが身よにふるながめせしまに


この歌の通解について、教科書や学者さんの書いた通釈本などをみると、たいてい「花は色褪せてしまった。私もいたずらに歳をとってしまったわ。花が春の長雨にうたれて散っていくように」というような意味だと書かれています。

「我が身、世に降る雨を眺めている間に」と詠んでいるため、小町晩年の作とされています。
一説には小野小町は92歳まで生きたといわれていますから、もしかしたら、お婆さんになってから詠んだ歌かもしれません。
要するに、昔は美人だった小野小町が、気がつけばいい年になっていて、容姿が衰えたと嘆いている歌だというのです。

でも、それっておかしくありませんか?
そんな愚痴が、どうして本朝三代美人の代表的な作品となるのでしょうか。
どうして「百人一首」に選ばれるほど素晴らしい歌、日本を代表する美女の歌とされたのでしょうか。

「百人一首」は、歴史に残る最高の歌人の中から、ある意図を持って最高の歌を集めたものです。
小野小町は、塚に埋めるほどラブレターをたくさんもらった人ですから、きっと見た目も美しい女性であったであろうとは想像に難くありません。
けれど当時はラブレターをもらう女性など、ほかにもたくさんいたわけで、何もそれだけでは小野小町が絶世の美女という理由にはなりません。

それにそもそも、小野小町が「美人」と讃えられ、その評価が定着したのは、彼女が亡くなって二百年もたってからのことです。「小倉百人一首」を撰じた天才歌人、藤原定家が小町の歌を通じて、彼女を「最高の美女」と讃えたのがきっかけです。
つまり藤原定家は、小野小町に実際に会ったわけでも、肖像画を見たわけでもなく、純粋に和歌を通じて、小町を「本邦第一の美人」としたわけです。