今日は心動かされるフォーラムで

コーディネーターのお仕事をさせていただきました。



今年で3回目になるのですが

毎回、物凄く大きな宿題を与えてくれるフォーラムです。





新潟水俣病と共に生きるフォーラム~新潟水俣病発生から50年~




はじめに

水俣市から熊本県水俣私立水俣病資料館語り部の 杉本 雄さんのお話。

杉本さんは水俣市の漁師さん。 水俣病の患者さんでもいらっしゃいます。

長い長い闘い・・・病と・・・そしてチッソと・・・国と。


天災ではない 人災は

「恨み」という感情を持ちながら生きなければいけないという

精神的な苦痛もずっとお持ちなんだなと・・・

さぞかしお辛いだろうなと・・・感じました。



「のさり」 という熊本の方言。


「授かる」 という意味だそうです。



病さえも「のさった」とおっしゃる杉本さん。


「水俣病を公害病としてしまったのは水俣市民である」


あやふやな情報しかなく、汚染された魚も食べ続け

妊婦さんは母乳を出すためにと、牡蠣をたくさん食べ続けたそうです。



人間の生命と引換になりうるものなどないはずなのに

チッソの発展を推し進めたのは市民でもある・・・


ショッキングな話でした。



杉本さんは 福島の原発のことにも触れられました。


「水俣病の教訓を生かさなければいけない。」


私も全くその通りだと思っています。


「でも本気で教訓にしようと取り組んでいる人は

 私から見たら一人もいない!!」


杉本さんは言葉を強めました。






新潟水俣病発生から50年。

まだまだ終わっていません。

歴史上の教科書の中の出来事ではありません。


現在進行形です。


私たちは子供の頃

「四大公害病」というくくりで習い

テストのために暗記しました。


本当は・・・そんな教育ではいけないのかもしれない。


身近に、同じ時間を生きている患者さんのこと、

病気の正しい知識も教わらなければならなかった。



そんなことも考えさせられました。









実際に熊本県水俣市に研修に行かれた

新潟医療福祉大学の学生さんたちドキドキ  かわいいでしょ~!



研修で感じたことや学んだことを発表してくれました。



なんて言ってみようもないほど

立派な、感動的な発表でした。



若い感性で感受性豊かに

水俣病の胎児性の患者さんとふれあい

心と心の会話を通して、ものすごく大切なことを吸収されていました。



「学んだことは自分の中にとどめるのではなく

 周囲の人たちと共有していきたいと思いました。」


「新潟水俣病患者さんの心の温かさにふれたから

 僕たちも温かさをお返ししたいと思った。」




「水俣病といっても100人いたら100通りの症状があって

 おひとりおひとりに寄り添うことが大事だと思った。」




学生さんの「取材力」。。。

 

ペンやパソコン、カメラ、マイクなどではなく

人間の心で吸い込んで取材しているから何よりも力強く温度がありました。



どんなマスコミ報道よりも もしかしたら真実を伝えてくれたみなさん。


ありがとうございます。




代え難い時間を共有させていただき

心から感謝申し上げます。


新潟医療福祉大学の丸田先生はじめ皆々様


本当にどうもありがとうございましたブーケ1