出光興産の創業者、出光佐三(いでみつさぞう)の話です。
出光佐三の生涯については、百田尚樹著「海賊とよばれた男」に詳しいので、興味のある方は是非読んでみてください。小説では「国岡商店の国岡鐵造」となっています。

さて、出光佐三の数あるエピソードの中から、ひとつ紹介したいと思います。

第二次世界大戦前、出光興産はアジア大陸に進出し、満州やシベリアまで商売を広げていた。
しかし、日本の敗戦で海外の営業拠点を全て失い、 巨額の借金を抱えることに。
国内の営業施設もGHQに接収され、当時の出光興産はまったく仕事ができなというお手上げ状態。

そんな中、数百人もの社員が海外から引き揚げてくる。 彼らを雇い続けようにも、そんなお金も仕事もない。
幹部会議での決断が“断腸の思いだが、大量解雇やむなし”とされたのも当然だった。

しかし、その成り行きに瞑目していた出光佐三はこう発言する。

“私は、海外から引き揚げてくる社員を解雇するという意見には賛成できない。
彼らがどんな気持ちで危険な海外へ出て行ってくれたのか、今一度思い起してほしい。
会社を信じてくれたからこそ、危険を承知で行ってくれたのではなかったのか。
私はそんな彼らに、今でも心から感謝している。絶対に首にするなどできん”

ある経営幹部が目に涙を浮かべながら出光佐三を説得する。

“しかし彼らを首にしなければ、全員共倒れになります。苦しい気持ちは私も同じです。
社長のお気持ちは痛いほど分かりますが、会社を守るためにも、経営者として辛い決断を下してください”

しかし、出光佐三は一歩も引かない。

“社員は、私にとって家族同然だ。
食べ物が足らんからと言って、家族の誰かを追い出したりする、そんな冷酷な親がどこにいる。 手元には借金しか残っていないが、会社を支えるのは人だ。
仕事がないなら探せばいい。探してもなければ、つくればいい。
それをせずに、信じてついてきてくれた社員を裏切り、残った者だけで生き延びる、そんな卑怯なことができるか。
できる努力を精一杯やって、それでも食っていけなくなったら、その時は、みんなで一緒に乞食に教えを乞おうじゃじゃないか”

この決断力、しびれますね。すごくカッコいいと思います。
社員すべてが家族という考え方に感動しました。

Twittewで“みんなともだち”といって、すべてフォローバックしている女性アーティストがいます。その数7,500超。
彼女の名はfumika。
出光佐三と同じ福岡出身だけど、九州人の肝の据わりっぷりには感動を覚えます。
そんなfumikaさんの出張ブロードウェイ第4幕。家族がテーマです↓