生霊って言葉にどきっとしますね。

わたしこういう表現は あまり好きじゃありません。

わたしはこの世に怖いものはないと思っております。

散々怖い思いをして 霊とかそういう怖いものに怯えて来ましたので

過去の恐怖体験を「一体あれはなんだったのだろうか?」という

疑問を一つひとつ教えてくれたのは、梵字のおじいちゃんであり

光りであり、不思議な皆さんたちでした。

だからこの世に怖いはないって思っております。

でもね、先日いらして下さったMさんがわたしの前に座ったとき

Mさんがダブって見えました。

何度かお会いしているので、その視え方が変だなぁって思いました。

Mさんの後ろに、誰かもう一人見えるのです。

目が少し細くて切れ長で 四角いお顔の女性。

「ん?誰だろう」って思いました。

亡くなっている方であれば、見ず知らずの人を連れて来る事は

殆ど在り得ないので、どなたか生きていらっしゃる方だなぁって

思いました。

だからMさんの心当たりある方の名前を 片っ端からあげて

もらって、その姿と一致した人物がわかりました。

その人は無意識なのでね、でも悲しいし悔しい思いや

怒りがあるのでしょうね。 

話を聞くと逆恨み以外の何物でもないのですけれどね。

わたしはこういうとき、追い払うとか徐霊とか全く意味がないって

思っています。

徐霊もお祓いも 祓ったつもり、祓われたつもりのお互いの

自己満足で成り立っておりますので、根本的な解決には

ならなくて、だからお払いで何一つ解決はされないのです。

わたしはただひたすら その方の後ろの皆さんにお願い

致します。

「どうぞその方の怒りを静めてあげて下さい、その方もお辛い

事でしょう。わたしにお力をお貸し下さいませ」と話し掛けます。

すると次第に少しづつ変わってくるがわかります。

それは、Mさんも 自分の身体の軽さと心の変化ですぐに気付いて

下さいました。

こういうお仕事をしておりますので、いらして下さる方の中には

一般的におどろおどろしい表現で言われる 悪魔憑きと思われる

ような現象などもあります。

でもいつも思うのです。

その根本にあるのは怒りであり、悲しみなので、祓ったり浄化したりは

あまり意味はなくて、根底はあるのは怒り 憎しみ 悲しみという

愛なのです。 全てがそうだって思います。

怒りの感情を浄化しても 何の解決にもならないのです。

だからわたしは祓う事は致しません。 

生霊って言葉は怖いですが、人の意識の残像であり愛の変化

なので祓う意味もありませんし、必要ないと思っております。

だからその方の後にいる不思議な皆さんにお頼みいたします。

その人と一緒にいるのですから、それが一番確実でもあります。

その時に思う事は、その方がラクになれたらよいなぁという思いで

お願い致します。 

どうぞその方をラクにしてあげて下さいとお願い致します。

わたし達は憎んだり 憎まれたり 恨んだり恨まれたり

この世は おあいこ様で成り立っております。

Mさんが後からこんなふうに言って下さいました

帰ってからすごく眠くなってしまい、仮眠をとりました
身体の感覚が違うんですね
霊とか除霊とか追い払うのではなく、お静まり願います
っていう気持ちがワタシ自身しっくり来ているので安心しました
霊も、生霊も人の未完了の思いだと思うので
そこは人間も同じですから、邪魔者ではないと思っています
ありがとうございます







今日 Yさんから頂戴した飴ちゃん

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のキーホルダー

本当の飴を使って作っているのだそうです。 

耳にぶら下げたら可愛いなぁって思いました。

鼻にぶら下げても・・・・かわいいかなぁ・・・。







浅虫の旅館に泊って 朝に部屋から見えた景色

 
とってもきれいでね、
 
伊豆の景色に似ているなぁって思いました
 
雪がなければ ここに住みたいなぁって思いました



善知鳥神社にも25年ぶりに行きました。

青森の街中にある神社さんです。
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むかしは、もう少し神社の敷地が広くて両側に白い砂利を

敷き詰めていたのですが、そこは立体駐車場になって

いました。

「お久しぶりでございます。ご無沙汰しておりました

25年振りにやっと直接参る事が出来ました。」ってご挨拶を

致しました。

鳥居の近くで日向ぼっこする鳩が可愛かったです。
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今日も良い日に致しました。

いっぱいの感謝でありがとうございました。